肝心な時にいつもいないじゃないか、この知事は

と言えば、察しのいいひとはすぐにお分かりかと思うが、今新型のコロナウィルスで世界中が慄いているときに、しかも自分が所掌する県内にはディズニーランドもあれば成田空港もあり、また中国の武漢市から急遽チャーター便で帰ってきた人たちが某市のホテルに隔離?されているというこのときに、いったい本人がインフルにかかってどうすんだよ、とわたしなどは思ってしまうのである。

なぜならわたしは、あの台風のときのこの知事の有り得ない醜態にいまだに腹の虫を収めていないからである。いや生涯収めるつもりはない。

もちろんインフルというものは知事でなくとも罹る。ときと場所を選ばずに罹る。このことまでは否定しない。しかし、以前に「災害は抜けた為政者の下にやってくる」でも書いた通り、やはりわたしには、この知事の顔が間抜けそのものにしか見えない。

ヘリコプターで真っ赤サー宜しくF1に乗り込みしゃしゃり出て、熔解寸前の原子炉への海水注入を躊躇わせたあのお偉い方と同様に、その顔にマヌケと烙印が押されているのがわたしにははっきりと見えるのである。

穿った見方をすれば、この県の真の実力者は他にいて、この知事の間抜け面を県民に見せぬよう工作をしたのかも知れない。

あるいは、今回のウィルス騒動そのものが天の摂理によるものなのかも知れない。なぜなら、このコロナウィルスは中国で発生し、かの習近平氏の来日を少なくとも先延ばしさせたのだから。そのことによって、わが国を 華夷秩序に組み入れようとする彼の深謀遠慮をたとえ少しでも先延ばしさせることができたのだから。

きっと、わが神州に在わします八百萬の神々(なんとネトウヨっぽい!)が、このような人物を国賓として接遇しようとしたり、あるいはこのような間抜けな男を県知事にしてしまったわたしたちの不見識をお怒りになっての今回の騒ぎであるに違いあるまい。