規則は破るためにあり、記録は守るためにある

と教えてくれたのは、小学校5、6年時の先生だ。

ありがたいことに、爾来わたしはこれを守ってきたお陰で数々のスピード違反を行い免停を食らってきた。

そこで思うのは昨今のコロナ禍である。

わたしはこれを先の大戦大東亜戦争と同じじゃないかという気がするのである。

なぜか?

先の大戦は、無謀極まるものであった。というのが、おそらく今では大抵の日本人の感想であろう。

勝てもしないと分かっている戦争になぜわれわれの先達は突き進んだのか。これは、未だ解明できない謎である。

しかし、勝てるはずのない戦いに臨んだのは、単に先達がバカだったからでも向こうみずだったからではないと思う。

そこにはやはり止むに止まれぬ事情があったに違いない。

その事情がなんであったかはさておき、今度のオリンピックである。

なぜわが国政府は、かくも無謀な、実施すれば途方もないしっぺ返しが襲ってくること自明であるのに、こんなものを敢行しようとするのか。

おそらく我が国はまた世界を相手に大きな敗戦を喫するであろう。

そして、おそらくその責任を誰一人として取ろうとはしないのだ。

バカな政治屋とアホな官僚が奏でる二重奏。その被害をわたしたち国民は享受しなきゃいけないわけだ。

オリンピックなどやっちゃいけない。やらなきゃいけないというルールなどどこにもないのだ。

あったとしても破ればいい。

規則は破るためにある。

そして記録は守らねばならない。

誰がどんな発言をし、どのような行動をとったか、しっかりと記憶に留めよう。そして、次の選挙では必ずこのような、愚かな輩を落としてやるのだ。

わたしたちは、決して彼ら愚か者どもの責任を有耶無耶にさせてはいけないのだ。