なんこう

2011/05/21 11:25


昔、俳優の故名古屋章さんがムヒのコマーシャルをやっていたのを良く憶えている。たしか白衣姿の薬剤師に扮した名古屋さんが店にやってきた婦人とこういうやり取りをするCMだった。
婦人:「あのー。ムヒが欲しいんですけど・・・」
名古屋:「なんこう・・・ですか?」
婦人:「いえ、一個でいいんですけど」
名古屋:「・・・? いえ軟膏ですね」
婦人:微笑んで「はい。そうです」
実に下らないシャレのCMだったが、今でも憶えているところをみると、やはり相当強烈なインパクトを持っていたのだろう。

ところで、普通?なんこうといえば、大楠公、楠正成のことである。しかし、最近の若者にこれを言ってもおそらく通じない。ナンコウ?クスノキマサシゲ? 何それ?てな具合になってしまうことであろう。

七生を誓いて散らん桜花

上は、菊水作戦に参加し散華したある特攻隊員の辞世の句である。七生も菊水も楠公と縁の深い言葉だ。七生とは、楠公湊川の戦いに臨んで「七度死しても人として生まれ変わり朝敵を討たん」と詠んだことによる。
皇国日本を守るためには命など惜しくはない、との決意を込めた言葉である。
菊水作戦の菊水とは、楠家の家紋による。これにも謂れがあって、その忠孝を認められて正成は朝廷より菊の御紋を戴くことになった。しかし、それでは余りに畏れ多いと、菊水としたのである。

さて、楠公はしばらく世間から忘れ去られていた。これを復活させたのは、実は水戸のご老公こと徳川光圀である。水戸の黄門さまは、嗚呼忠臣楠子之墓を湊川に建立し、その盛徳を顕彰している。

嗚呼忠臣楠子墓攝州之西湊川濱建之者誰水府公對之泣者有幾人討賊之詔不可負獻策無聽何敢恨兵庫西望塵漲天來犯賊軍五十萬纔將手兵七百當血戦意中死是願

七生人間殺國賊一語丹誠足靖獻湊川之水有長咽武庫之山見獨尊偏悲正気寂然絶唯憶忠魂凛呼存勤皇報国渾如忘世道之非向誰訴雖欲不泣奈涙霑嗚呼忠臣楠子墓

                                  生田鐵石

ところで、水戸学は徳川光圀大日本史の編纂をしたのが始まりと言われる。日本古来の伝統を重んじる学問であり、この影響を受けた幕末の志士らによって明治という時代が生まれた。吉田松陰然り西郷隆盛然りである。そしてまた、明治はこのような志士たちによって日本の國體が完成し、日本人が初めて国家意識をもった時代であったのである。

余談ながら、明治大帝は大楠公の佩刀と伝承される小竜景光をサーベル形式の軍刀拵に納めて携えておられたという。

さて、この25日は楠正成、正季の兄弟が湊川で自刃した日である。遠き日の大楠公の決意に思いを馳せてみるのもまた、新たな朝敵を迎え撃つに必要なことのように思われる。