阿南惟幾 日本のいちばん長い日

2011/08/15 12:56


文藝春秋2008年5月号 保坂正康氏(ノンフィクション作家)の

新資料公開
ニ・ニ・六と聖断 阿南自決の真相より

阿南陸相終戦の日(遺書では昭和二十年八月十四日夜)に「一死以テ大罪ヲ謝シ奉ル 神州不滅ヲ確信シツヽ」と遺し自決している。
新資料とは、偕行社(旧陸軍士官学校出身の将校たちがつくる財団法人)の機関紙『偕行』2008年二月号に掲載したものである。
わたしには、ここに阿南惟幾切腹の伏線が含まれているように思われた。
東京幼年学校校長として、阿南は以下の訓話をし、決起部隊に対する怒りを露にしている。そこには我が国体の本義や忠君忠孝が説かれ、青年将校たちが陥った民主社会主義が我が国体と相容れないものであることなどが述べられている。
思えばすでに当時、社会主義思想の影が軍部をも染めようとしていたのだ。そしてこの影は我国を戦争へ、そして敗戦へと導いていったのである。

帝都不祥事件に関する訓話
昭和一一・三・十二
於第一講堂

去る二月二十六日早朝我陸軍将校の一部が其部下兵力を使用して国家の大官を殺害し 畏くも宮城近き要地を占拠せる帝都不祥事件は諸氏の己に詳知せるる所なり。而して其蹶起の主旨は現下の政治並社会状態を改善して皇国の真姿発揚に邁進せんとせしものにして憂国の熱意は諒とすべきも其取れる手段は全然皇軍の本義に反し忠良なる臣民としての道を誤れり。以下重要事項につき訓話する所あらんとす。

第一、 国法侵犯並軍紀紊乱

単に同胞を殺すこと既に国法違反なるに 陛下の御信任ある側近並内閣の重臣特に陸軍三長官の一人たる教育総監を殺害するが如きは国法並軍紀上何れより論ずるも許すべからざる大罪なり。

一、重臣に対する観念

仮りに是等重臣に対し国家的不満の点ありとするも苟も陛下の御信任厚く国家の重責を負いたるものを擅に殺害駆除せんとするが如きは臣節を全うするものにあらず。先ず陛下に対し誠に恐懼に堪えざる事なるを考えざるべからず。

忠臣大楠公の尊氏上洛に処する対策用いられず之を湊川に邀撃せんとするや当事に於ける国家の安危は到底昭和の今日の比に非ざりしも正成は尚御裁断に服従し参議藤原清忠を斬るが如き無謀は勿論之を誹謗だにせず一子正行に桜井駅遺訓す。言々国賊誅滅一族殉国の赤誠あるのみ。而して戦利あらず弟正季と相刺ささんとするや「七度人間に生れて此賊を滅さん」と飽く迄大任の遂行を期して散りたるが如き誠に日本精神の発露にして忠臣の亀鑑たるは言うまでもなく特に責任観念の本義を千載の後に教えたるものにあらずや。自己の職責と重臣に対する尊敬とは此間によく味うを得べく今回の一部将校の行為と霄壤の差あるを知るべし。

ニ、長老に対する礼と武士道

重臣就中陸軍の長老たる渡辺教育総監を襲いし一部の如きは機関銃を以って数十発を発射し更に軍刀を以て斬り付けたる如き陸軍大将に対する礼儀を弁えざるは勿論其他高橋蔵相斉藤内府等に対しても一つの重臣に対する礼を知らず実に軍紀を解せず武士道に違反し軍人特に将校としての名誉を汚辱せるものなり。

彼の大石良雄等四十七士が苦心惨憺の後吉良上野介を誅せんとするや不倶戴天の仇に対しても良雄は跪きて短刀を捧げ「御腹を召さるるよう」と懇ろに勧告して武士の道を尊び已むを得ざるを見て「然らば御免」とて首を打ち総ての場合に於て「吉良殿の御首頂戴」等いとも鄭重なる敬語を用い居る所真に日本武士の大道に叶えるものと言うべし。今回の将校等殆ど全部が幼年校又は士官校に学べるものなるに斯かる嗜みなかりしは臭を千載に残すものにして武夫の礼、武士の情を知らざるが如きは己に軍人として修養の第一歩を誤りたるものとす。諸子反省せざるべけんや。

二、遵法の精神

動機が忠君愛国に立脚し其考えさえ善ならば国法を破るも亦已むを得ずとの観念は法治国民として甚だ危険なるものなり。即ち道は法に超越すと言う思想は一歩誤れば大なる国憲の紊乱を来すものなり。道は寧ろ法によりて正しく行わるるものなりとの観念を有せざるべからず。

古来我憂国の志士が国法に従順にして遵法の精神旺盛なりしは吾人の想像だに及ばざるものあり。

吉田松陰の米船により渡航を企つるや其悩みは「国法を犯す」ことなりき。故に此件につき佐久間象山に謀りしに象山は近海に漂流して米船に救い上げられば国禁を犯すにあらずとの断案を授けぬ。松陰大に喜び以て大図を決行せしなりと伝う。又林子平が幽閉中役人さえ密かに外出して消遣然るべしと勧告せしに

月と日の畏みなくはをりゝは

人目の関を越ゆべきものを

とて一歩も出でざりきとぞ。先生の罪は自ら恥ずる所なく愛国の至誠より出でたるにも拘らず尚且斯の如く天地神明に誓って国法を遵守せしが如きは如何にも志士として恥じざるものと謂うべし。此等忠臣烈士は仮令幕府の法に問われ或は斬罪の辱を受しと雖も奕々たる精神は千載の下人心を感動せしめ且つ世道を善導せる所以を思うとき今回の事件が武人として吾人に大なる精神的尊敬を起さしめ得ざるもの茲に原因する所大なるものあるを知るべし。

第二、 統帥権干犯行為

彼ら一部将校は徒に重臣等共の統帥権干犯を攻撃し之を以て今回蹶起の一原因に数え悲憤慷慨せり。然るに何ぞ擅に皇軍を私兵化し軍紀軍秩を紊乱して所属長官の隷下を離れ兵器を使用し同胞殊に重臣殺戮の惨を極め剰え畏くも皇居に近き官庁官舎を占拠せるが如き全く自ら統帥権を蹂躙破壊せるものにして其罪状と国の内外及将来に及ばす悪影響とは蓋し彼等の唱うる重臣の過失に倍すること幾何ぞや迷妄恐るべきかな。

第三、 抗命の行為

 霞ヶ関付近要地占領後自ら罪に服せざるは勿論所属師団長以下上官の諄々たる説諭も帰隊に関する命令も全然耳を仮さず或は条件を附し或は抗命の態度を取る等軍紀を破壊せり。而して是等一部将校に率いられたる下士兵の行動は多くは真事情を知らず唯上官の命の儘に行動せるもの多きも未だ其心理の詳細に到りては明かならず。他日判明を待ちて研究する所あらんとす。但し今日の教訓として軍人の服従に関する心得中左の二項は特に肝銘しおかざるべからず。

一、服従の本義は不変なり

 服従の精神は依然として 勅諭礼儀の条の 聖旨に基き従来と何等変化なく「服従は絶対」ならざるべからず。

今回の如き特例は以て服従に条件を附するが如きことあらんか忽ち上下相疑うの禍根を生じ軍隊統率軍紀の厳粛(訓育提要軍紀の章参照)に一大亀裂を与うるものなり深く戒めざるべからず。

ニ、上官特に将校の反省と教養

 上官たらんものは「上官の命令を承ることは実は直ちに朕が命を承る義なりと心得よ」との 聖旨を奉体し常に至尊の命令に代りて恥じざる正しき命令の下に服従を要求すべきものにして猥りに「国家の重臣を殺せ」など命令するが如きことあらんか啻に命令の尊厳を害い服従の根底を破壊するのみならず将来部下の統率は絶対に不可能に陥らん。嘗て戒め置けるが如く「其身正不正雖令不従」(論語 訓話第一号の如く書きある書物あり)と。即ち服従の精神を繋ぐものは下にあらずして上官にあることを忘るべからず。故に将校たらんとする諸子は今日より先ず其身を正しくし教養を重ね部下をして十分の信頼を得しめ喜んで己に服従し命令一下水火も辞せざらしむる底の人格と識見とを修養することを第一義となさざるべからず。

第四、最後の態度

 事件最後の時機に於て遂に 勅命下るに至る。誠に恐懼に堪へざる所なり。如何なる理由あらんも一度 勅命を拝せんか皇国の臣民たらんものは啻に不動の姿勢を取り自己を殺して 宸襟を悩まし奉りし罪を謝し奉るべきなり。然に惜むらくは彼等は此期に及んで尚此大命すら君側の奸臣の偽命なりとして之に服さざるが如き其間如何なる理由あるにもせよ寔に恐懼痛心に堪えざる所にして実に 勅諭信義の御戒に背きしものと謂うべく事茲に至りて彼等の心境に多大の疑問を残すに至り同胞軍人として遺憾至極とす。

一、自決と服罪

 我国にて自決、切腹等は武士が戦場等に於て已むを得ざる場合其名誉を全うせんが為取りしに始まり己が国法を犯したるとき等は自ら殺す即ち自ら罪を補うは御上に対し其道に背きし一種の謝罪を意味す。畢竟切腹は武士の面目を重んじたるものなり。己の行動が死罪に値するとせば更に絞首火炙りに値するやも知れず故に潔く服罪して処罰を仰ぐを武士道とせるが如し。是れ大石良雄の復讐達成後の覚悟及処置にても明かにして万一にも死罪を免ぜらるる事ありとするも少くも良雄と主税とは自決して罪を天下に謝すべきものなりとの信念を有したりしとき聞く。

 是れ真の武士道なり。然るに今回の事件に際し将校等が進んで罪に服するにもあらず僅か二名が自殺し一名未遂に終りしのみなりしは我武士道精神と相隔つること大なるものにして吾人は此際自決するを第一と考うるも一歩を譲りて若し我儘の自決が 陛下に対し奉り畏れ多しと感ぜしならば潔く罪に服すべきものなりと断ぜざるを得ず。

ニ、彼等の平素

 彼等の平素に於て人格高潔一隊の輿望を担いつつありしもの決して之れなしとせざるも仄聞する所によれば其大部は上官同僚にさえ隔心あり隊務を疏外して本務たる訓練に専心ならず軍務以外の研究に没頭し武人として必ずしも同意し得ざる点多々ありしと。平素の人格高潔にして真に至誠人を動かし而も最後に潔く自決するか又真に大罪を闕下に謝せんが為従容進んで罪に服せしならんには少くも今回の挙は精神的に日本国民の多大の感銘を与うるものありしならんに其平素の行為と最後の処置を誤りし点とに於て一段同情と真価とを失えりと言わざるべからず。夫れ其身を修むべしとは古諺に明示せられある所深く思わざるべからず。

第五、 背後関係

 本事件の背後関係につきては未だ確報を得ざるも北輝次郎、西田税一派と密接なる連絡ありしものの如く其大部が彼の「日本改造法案」を実効せんとするが如き主義に基けるにあらずやとの疑あり。果して然りとせば深く戒慎を要するものあり。彼の改造法案は己に昭和二年頃一読せしことあり。其後も吾人の間には屡々話題に上りしものにして其主旨が国家社会主義と言わんより寧ろ民主社会主義に近く我国体の本義に一致せざるは何人も明かに認め得ざる所なるに彼等一部青年将校は其純真なる心情より徒に彼等を過信し或はよく之を熟読批判することなく彼等の主張に引きつけられしものならん。もし之に心酔せりとせば将校として其見識殊に国体観念に於て研鑽と信念の不十分なるによるべく寧ろ此点同情に堪えざるものあり。以上の如き心境は羊頭を掲ぐる幾多不穏思想の乗ずる所となり易く彼の欧州大戦時に於ける独海軍及び露軍の革命参加の経過より見るも明かにして(例記載を除く)一歩を誤らば皇国皇軍を危険に導くもの之より大なるは莫し。軍隊の棹?たらんものは自ら修養と研鑽と積み皇軍将校としての大綱を確実に把握し何物も動かすべからざる一大信念に生き苟も羊頭狗肉の誘惑に陥るが如きことあるべからず。

第六、 結論

 以上は事件の経過に鑑み比較的公正確実なる情報を基礎として生徒に必要なる条件につき説明訓話せるものにして如何なる忠君愛国の赤誠も其手段と方法とを誤らば 大御心に反し遂に大義名分に戻り 勅諭信義の条下に懇々訓諭し給える汚命を受くるに至る諸子は此際深く自ら戒め鬱勃たる憂国の情あらば之を駆って先ず自己の本分に邁進すべし。是れ忠孝両全の道にして各条述ぶる所は此忠孝一本の日本精神に基ける千古不磨の鉄則なり。今回の事巷間是非の批判解釈多種多様ならんも本校生徒たる諸子は堅く本訓話の主旨を体し断じて浮説に惑わさるることあるべからず。