鎮男15

2012/06/03 14:29


私は、ゆっくりと扉に向かった。鎮男は、すでに片手に鞄を下げていた。そして、隣の部屋へのドアをそーっと開けている。私の顔を見ながら、隣の部屋に移りそっと扉を閉めた。
それを確認すると、私は、入り口の扉に向かって声をかけた。
「はい。どなた様でしょう?」
「大友さんですね。防衛省の者です。すぐにドアを開けていただきたい」その声は、ひどく強圧的に聞こえた。
防衛省? 防衛省がいったい、私に何の用があるんですか。――たとえ、防衛省でも税務署でも理由を聞かない限り、簡単に開けるわけにはいきませんよ」 
「いいから、開けなさい。さもなければ、公務執行妨害で逮捕する」
「逮捕?」私は、心底驚いた。まさか。冗談だろうと思った。
「われわれに協力しないなら、威力を行使してでも扉を開けるまでだ」
もう一人扉の外にいた。この男の声は、ヒステリックだ。
「はいはい、分かりました。そんなに威張らなくとも開けて差し上げますよ」
 私は、むかっ腹を抱えながら扉を開けた。
 男二人が扉を引き開け、まるで押し入りのような勢いで飛び込んできた。一人が扉の前に立ち、もう一人が窓際に位置を占めた。
「大友飛行船社長の大友康太郎だな」扉の前の180センチくらいはある大柄の男が呆然自失の私に訊いた。その男は、陸上自衛隊の幹部自衛官だった。制帽をかぶり、金色の短冊二つに桜星一つの肩章がついた濃紺の制服を着ており、棒でも飲んだように背筋をまっすぐ伸ばしている。
「そうですが……」
「貴殿は、現在の騒擾について、どのように考えておられるのか」
「現在のそうじょうと言いますと……」私は、少し戸惑っていた。なぜなら、彼らは、一向に寝室の方を探すそぶりを見せないし、最初からこの部屋には私一人しか宿泊していないと信じているような態度だったからである。
はっと気がつくと、扉の前の男が顔を顰めていた。
「いえいえ、けっして冗談を言っているわけではありません。本当に何を仰ってるのかよく分からないんです」
「それなら、あの飛行船はどういうことですかな?」背後から声が聞こえた。
振り向くと、上官らしき男が帽子を小脇に挟み窓の外を見ている。そこにはわが社の飛行船が、このホテルのまさにこの階に横付けするかのように、その横腹を見せたままの姿勢で接近していた。鎮男の発明であるプラズマ推進装置ならではの動きだった。
「なんだとっ」突然、その一等陸佐らしき窓際の男が飛行船を見たまま叫んだ。
見ると、飛行船の腹にある巨大な有機ELディスプレイに虹色に輝く文字が現れ、左にゆっくりと流れていく。その文字は、何度も何度もスクロールを繰り返しながら、以下の内容を伝えていた。
[この騒乱は、もうすぐ終息します。防衛大臣、過剰な心配はご無用です。それよりも、ご自身の心臓にはくれぐれもご注意を……。以上、老婆心ながら]
「なんだと……」その怒声に思わず身体を翻すと、いつの間にか扉の前にいた男が私のすぐ後ろに立っていて、近眼なのか、目を凝らすようにしてディスプレイを見ていた。そして、芝居がかった、どすの効いた声で私に言った。「貴殿は、われらを愚弄する気か」
「とんでもない。私はさっきからずっとここにいるんですよ。あんな芸当が出来るはずがありません」
「それでは、いったい誰が……」
「さあ」私は、その三佐らしき男の間の抜けた顔に吹きだしそうになるのを辛うじてこらえていた。
「まあいい」
窓際の一等陸佐が部下を宥めるように言った。「とにかく、大友さん。あなたには防衛大臣が会いたがっておられる。一緒に来てもらいたい」
私は、再び彼の方に向き直った。
「大変光栄と言いたいところですが、どうもありがたくはありませんな」

しかし、否も応もなかった。すでに、三佐は扉を開けて私を待っていた。私は、彼に顎で促されるまま外に出た。廊下には、背広姿のSPが二人立っていた。
「ご足労をお願いいたします」痩せぎすで、顎の尖った背の高い男が私に軽く頭を下げた。そして、もう一人の背は低いががっしりとした体格の男と二人、私を挟むように両側に並ぶと反対側のスイートへと私を導いた。
「大臣、お連れいたしました」
背の高いSPがドアを3回ノックしてから中に呼びかけた。
「ご苦労さん」という、大きな明るい声が中から返ってきた。