鎮男6

2012/06/03 14:18


私は鎮男の後に続いて家の中に入った。最初は、照明が点いておらず、暗くてよく分からなかったが、鎮男がスイッチを入れると、蛍光灯の灯りのもと魔法のように現れたのは、土間の上に所狭しと置かれたさまざまな工作機械や工具類だった。
黄色くペンキで塗られた大きな古い木の工作机が土間の真ん中に置かれ、その後ろには最新式のNC旋盤が据えられていた。スチール製の棚には、鉄やステンレスの丸棒、それに様々な形の鋼材が並べられ、奥の壁にはモンキーレンチやスパナやドライバー、ハンマーなどの形を描いた赤い大きなスチール製の板が掛けられ、その形どおりに工具が収まっていた。
私は、またしても鎮男にびっくりさせられた。最初はホームレスかとさえ思った男が、実は遠く人家を離れた家の中にこんな高価な機械を隠すように備えていたのだ。
いったいこの男は、何をやろうとしているのだろう。
それは、衝撃というほど急速ではなかったが、じっくりと私の五臓六腑に効いてきた。まるで、口当たりのよいカクテルでも飲まされたときのように。

「鎮男ちゃんは、いったいいま何をしとってん」
私は、胃袋がぎゅっと鷲掴みにされるような感覚を覚えながらも、意を決して訊いてみた。彼が何か良からぬことを企んでいて、私を巻き添えにしようとしているのではないかと勘ぐったのである。
「わいは、今までずっと発明で食ってきたんや」鎮男は、短くそれだけ答えた。
「発明?」私は、その言葉に新たな衝撃を受けた。が、一方でなるほどとも思った。子供のころの、鎮男のあの器用さ、頭の良さ、それに孤独癖を考えると、発明家というのは鎮男にぴったりの天職のように思えたのである。

「こうちゃんは、飛行船会社の社長やろ。その飛行船にもわいの発明が使われとる」
鎮男は、私を畳の居間に上げると、薄っぺらな座布団を寄こし、小さな昔ながらのちゃぶ台の前に座らせた。そして、すぐ傍の台所から湯呑み茶碗を二つと黒っぽい液体の入った一升瓶を持ってきた。ちゃぶ台に湯飲み茶碗を二つ並べ、一升瓶に半分ほど入ったワインらしき液体を注ぎ始めた。
まぁは、工作机の傍に寝そべってじっと私たちの様子をうかがっている。
「それはほんまか」
私は、酒を注ぐ鎮男の手元を見るともなしに見ながら訊ねた。心臓が大きく音を立てて飛び跳ねていた。鎮男が私の身辺について良く知っているらしいことと、わが社の飛行船にまで彼のいわゆる発明が使われているということにショックを受けたのだ。
「あの飛行船の推進装置は、こうちゃんの会社の実用新案になっとるけど、ほんまはわいが考えて、いわば大友飛行船株式会社に無料提供したものなんや」
「なんやって」
怒りのために声が大きくなった。しかし、その一方で我が社のプラズマ推進装置にまつわる謎がついに解けたという気がしていた。
「それがほんまやとして、なんでそんなことしてくれたん」
「40年前に言うたやろ。わいらは協力してこれから強大な敵と戦わなあかんのや」
鎮男は、湯飲み茶碗を私に手渡すと、自分の湯飲みに口を付けた。
確かに私は、40年前の鎮男の言葉を鮮明に憶えていた。それは、消し去ってしまうには余りに深く私の心に刻まれていて、本気で忘れてしまうには鎮男の記憶ごとすべて消し去ってしまうしかなかった。
「あのときの鎮男ちゃんの言葉は、忘れてへんで」
私は、湯飲みの中身を舐めるように少しだけ舌の上に乗せた。そして、しゃべるための舌を失った。いや、何を言おうとしていたのかさえ忘れてしまった。
私は、かなりのワイン通であると自負しているが、かつて味わったことのないほどの馥郁たる香りが鼻腔いっぱいに拡がった。私は、鎮男の顔をまじまじと見た。鎮男は、黙ってそのワインを飲んでいた。それは、あの夏の日、自分の通信簿が話題になっているのもどこ吹く風と静かに漫画を読んでいた姿とまったく同じだった。
私の胃袋が、いや喉が早く飲ませろと不平を上げた。それに負けて一口飲み下すと、金色の光芒のような至福が訪れた。