Jack Daws9

2013/02/04 13:21


当たりはしなかったが、弾丸は彼の顔付近の壁から石の欠片を吹き飛ばし、少佐は思わず屈みこんだ。
マイケルは走り続けた。
少佐はすぐに立ち直り、銃を再び構えた。
マイケルは目指す場所にたどり着いたが、同時に少佐にも近づいたことになり、その射撃のレンジをせばめた。マイケルはライフルを少佐の方に向けて撃ったが、それは全く的外れで、少佐は頭だけ出して打ち返した。今度の一発はマイケルをひっくり返し、フリックは思わず恐怖の叫び声を上げた。
マイケルは地面に倒れ、立ち上がろうとしが、叶わなかった。
フリックは努めて冷静を保ち、すばやく頭を巡らした。マイケルはまだ生きている。ジェネビェーブは既に教会のポーチにまで達しており、その機関銃は城の中にいる敵の目を引き付け続けている。フリックにはマイケルを救出するチャンスがあった。それは命令に背くものであったが、自分の傷ついた夫をそのままにしておいていいなどという命令などあろうはずがない。もしも彼女が彼を助けずに放っておいたら、彼は捕まって自白させられるだろう。ボーリンジャーサーキットのリーダーとして、マイケルはあらゆる者の名前や住所、暗号名を知っていた。彼の捕捉はとんでもない事態を招くことになってしまうのだ。
他に選択の余地はなかった。
彼女は少佐目掛けて再び撃った。またしてもミスったが、彼女は引き金を引き続け、その確固たる意志を持った銃撃はその男を壁に貼り付けにし、援護の隙を与えた。
彼女は鉄格子を抜け広場に向かって走った。彼女はその目の隅にあのスポーツカーの持ち主を捉えたが、今もなおその愛人に覆いかぶさって銃弾から守っている。フリックは彼のことを忘れてしまっていたが、突然恐怖と共に思い出した。彼は武装しているのだろうか。もしもそうだとしたら、彼は簡単に自分を撃つことができるだろう。しかし、弾丸は飛んではこなかった。
彼女は仰向けになったマイケルのそばにたどり着き、片膝を付いた。彼女は町役場を振り返り、少佐に隙を与えない為に2発撃った。それから彼女はその夫を見た。
彼女がほっとしたことにはマイケルはその目を開けており、ちゃんと息をしていた。見たところ、彼は左の臀部から出血しているようだった。彼女の恐れは少し和らいだ。「あんたはお尻に一発食らったみたいよ」彼女は英語で言った。
彼はフランス語で答えた。「痛くてたまんねぇよ」
彼女は再び町役場の方を見た。少佐は20メートルほど後退し、狭い道を横切って商店の戸口の方に向かっている。今回は、慎重に数秒かけて彼に狙いを定める。彼女は4発、引き絞るように打った。商店の窓が壊れたガラスを嵐のように吹き飛ばし、少佐は後ずさりし、そのまま倒れた。
フリックはフランス語に切り替えた。
「さあ、立ちあがって」
彼は横に転がり、うめき声を上げながらも何とか片膝を付いたが、傷ついた方の足を動かすことが出来なかった。「頑張って」と彼女は厳しく言った。「ここにじっとしていたら、殺されることになるのよ」彼女は彼のシャツの前を掴むと全身の力を込めて真っ直ぐに引き上げた。彼はいい方の足で立ったが、その体重に堪えられず、彼女の方に重く圧し掛かった。彼女は彼が一歩も歩けないことを知って、失望のうめきを上げた。
彼女は町役場の側を見渡した。少佐は立ち上がろうとしていた。その顔には血が付いていたが、酷く傷ついているようには見えなかった。恐らく飛び散ったガラスの破片で皮膚の表面を切っただけで、射撃には何の問題もないだろう。
やるべきことは一つだけだ……彼女は彼を持ち上げ、安全な場所まで運ぶしかなかった。
彼女は彼の前でしゃがむと、彼の腿のあたりを掴み、オーソドックスな消防士のやり方で自分の肩に彼を乗せた。彼は背が高かったが痩せていた――もっとも多くのフランス人はこのごろではみんな痩せていた。それでも、彼女は彼の体重で自分自身が潰されてしまうのではないかと思った。彼女はよろめき、一瞬眩暈を覚えたが何とか真っ直ぐ立ち上がった。
しばらく間をおいて、ようやく彼女は前に歩を進めた。
彼女は丸い敷石の上を一歩一歩踏みしめるように歩いた。彼女は少佐が自分目掛けて撃ってくるだろうと考えていたが、城のジェネビェーブや生き残りのレジスタンスの戦士が駐車場から激しく援護射撃をしてくれるとは思いもよらなかった。いつ銃弾が自分を打ち抜くかも知れないという恐怖感が彼女に力を出させ、どたどたと走らせた。彼女は最も近い出口である広場から南に抜ける道にたどり着いた。愛人に覆いかぶさっているドイツ人の脇を通り過ぎたとき、彼と目が合ったが、そのまさにぞっとするような一瞬、その男の目の中に見たのはまさに「驚嘆」であり、歪んだ賛美の念だった。彼女はカフェのテーブルに激しくぶつかって、それを弾き飛ばし、彼女自身ももう少しで倒れそうになったが、何とか持ち直し走り続けた。そして次の瞬間、彼女は角を曲がって少佐の視界から外れた。助かる、と彼女は感謝しつつ思った。もう少しで、せめて数分あれば、二人とも。
たった今まで、彼女はこの戦場をくぐり抜けた後、どこに行くか考えてはいなかった。逃走用の2台の車は2つ3つ先の通りで待っていたが、彼女にはそんな先までマイケルを運ぶことは出来なかった。しかしながら、アントニエット・デュパートがこの通りに住んでいるはずで、そこまではほんの数歩だった。アントニエットはレジスタンではなかったが、この城に関しての計画をマイケルに供したほどのシンパであった。それに、マイケルは彼女の甥でもあり、彼女が彼を追い返すとは考えられなかった。
いずれにせよ、フリックには他に手段はなかった。
アントニエットは、中庭の付いた1階建てのアパートを持っていた。フリックは広場から道沿いに数メートルほど先の開いた門扉のところまでくると、そのアーチの下でよろめいた。彼女はドアを押し開け、マイケルをタイルの上に静かに下ろした。
彼女はアントニエットのドアを力いっぱい叩いた。慄いたような声が「どなた?」と答えるのが聞こえた。銃声にずっと恐れおののかされていたアントニエットは、ドアを開けるのをためらっていた。
息を潜めてフリックは言った。「早く、早く」彼女は努めて声を低く殺した。隣人がナチのシンパでないとは限らないのだ。
ドアは開かなかったが、アントニエットの声が近づいた。「そこにいるのはどなた」
フリックは本能的に名前を口に出すのを避けた。
彼女は代わりにこう答えた。「あなたの甥ごさんがケガをしたの」
ドアが開いた。アントニエットは背筋のピンとした50歳くらいの女性で、今は色褪せてはいるが、かつてはシックであったろう木綿製の服にしっかりとアイロンを掛けて着ていた。顔は不安のために真っ青だった。「マイケル」と彼女は呼びかけ、彼の側にしゃがんだ。「重傷なの?」
「酷く痛むが、死ぬほどの傷じゃない」マイケルは歯を食いしばりながら答えた。
「可哀そうに」彼女は彼の髪を汗ばんだ額から愛撫するように掻き分けた。
フリックは堪えきれずに言った。「この子を早く中に入れてあげて」
彼女がマイケルの腕を、そしてアントニエットが膝を持ち上げた。彼は痛さに唸り声を上げた。二人がかりで彼を居間にまで運び、色褪せたベルベット製のソファに横たえさせた。
車を持ってくるまでの間、彼のこと頼みます」フリックは言った。
彼女は通りにまで駆け戻った。
銃火は死んだように消えうせていた。彼女には時間がなかった。
彼女は道沿いを駆け抜け、角を2つ曲がった。
閉まったパン屋の前に2台の車がエンジンをかけたまま停められていた……1台は錆付いたルノーで、もう1台の方は消えかかった文字でブランチゼリービセッツ・ランドリーと書かれたバンだった。それはバートランドの父親から借りたもので、父親はドイツ人の駐留しているホテルのシーツの洗濯をしているため、燃料を入手することが出来た。ルノーは、今朝シャノンで盗んでマイケルがナンバープレートを取り替えた。フリックは、城のグランドでの殺戮から生き残った者たちのためにバンを残し、ルノーを持っていくことにした。
彼女はバンの運転手に手短に指示を与えた。「5分間ここで待ってから逃げて」彼女はルノーまで走り、運転席に飛び込んで言った。「出して、早く」
ルノーの運転手はジルベルテで、黒く長い髪をした19歳の美人だが、ばかな女だった。フリックにはなぜ彼女がレジスタンスにいるのか理解できなかった――彼女はとてもそんなタイプではなかったからだ。車を出さないままジルベルトが聞いた。「どこにいくの?」
「私の指示するところへよ――頼むから、早く出して」
ジルベルトはギヤを入れ、車をスタートさせた。
「左、すぐに右」フリックが言った。