デンマルク国の話2

2013/03/13 16:18

しかし植林の効果は単に木材の収穫に止(とど)まりません。第一にその善き感化を蒙(こうむ)りたるものはユトランドの気候でありました。樹木のなき土地は熱しやすくして冷(さ)めやすくあります。ゆえにダルガスの植林以前においてはユトランドの夏は昼は非常に暑くして、夜はときに霜を見ました。四六時中に熱帯の暑気と初冬の霜を見ることでありますれば、植生は堪(たま)ったものでありません。その時にあたってユトランドの農夫が収穫成功の希望をもって種(う)ゆるを得し植物は馬鈴薯、黒麦、その他少数のものに過ぎませんでした。しかし植林成功後のかの地の農業は一変しました。夏期の降霜はまったく止(や)みました。今や小麦なり、砂糖大根なり、北欧産の穀類または野菜にして、成熟せざるものなきにいたりました。ユトランドは大樅(おおもみ)の林の繁茂のゆえをもって良き田園と化しました。木材を与えられし上に善き気候を与えられました、植ゆべきはまことに樹であります。
 しかし植林の善き感化はこれに止(とど)まりませんでした。樹木の繁茂は海岸より吹き送らるる砂塵(すなほこり)の荒廃を止(と)めました。北海沿岸特有の砂丘(すなやま)は海岸近くに喰い止められました、樅(もみ)は根を地に張りて襲いくる砂塵(すなほこり)に対していいました、
ここまでは来(きた)るを得(う)べし
しかしここを越ゆべからず
と(ヨブ記三八章一一節)。北海に浜(ひん)する国にとりては敵国の艦隊よりも恐るべき砂丘(すなやま)は、戦闘艦ならずして緑の樅の林をもって、ここにみごとに撃退されたのであります。
 霜は消え砂は去り、その上に第三に洪水の害は除かれたのであります。これいずこの国においても植林の結果としてじきに現わるるものであります。もちろん海抜六百尺をもって最高点となすユトランドにおいてはわが邦(くに)のごとき山国(やまぐに)におけるごとく洪水の害を見ることはありません。しかしその比較的に少きこの害すらダルガスの事業によって除かれたのであります。
 かくのごとくにしてユトランドの全州は一変しました。廃(すた)りし市邑(しゆう)はふたたび起りました。新たに町村は設けられました。地価は非常に騰貴(とうき)しました、あるところにおいては四十年前の百五十倍に達しました。道路と鉄道とは縦横(たてよこ)に築かれました。わが四国全島にさらに一千方マイルを加えたるユトランドは復活しました、戦争によって失いしシュレスウィヒとホルスタインとは今日すでに償(つぐな)われてなお余りあるとのことであります。
 しかし木材よりも、野菜よりも、穀類よりも、畜類よりも、さらに貴きものは国民の精神であります。デンマーク人の精神はダルガス植林成功の結果としてここに一変したのであります。失望せる彼らはここに希望を恢復しました、彼らは国を削(けず)られてさらに新たに良き国を得たのであります。しかも他人の国を奪ったのではありません。己れの国を改造したのであります。自由宗教より来る熱誠と忍耐と、これに加うるに大樅(おおもみ)、小樅(こもみ)の不思議なる能力(ちから)とによりて、彼らの荒れたる国を挽回(ばんかい)したのであります。
 ダルガスの他の事業について私は今ここに語るの時をもちません。彼はいかにして砂地(すなじ)を田園に化せしか、いかにして沼地の水を排(はら)いしか、いかにして磽地(いしじ)を拓(ひら)いて果園を作りしか、これ植林に劣らぬ面白き物語(ものがたり)であります。これらの問題に興味を有せらるる諸君はじかに私についてお尋ねを願います。
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 今、ここにお話しいたしましたデンマークの話は、私どもに何を教えますか。
 第一に戦敗かならずしも不幸にあらざることを教えます。国は戦争に負けても亡びません。実に戦争に勝って亡びた国は歴史上けっして尠(すくな)くないのであります。国の興亡は戦争の勝敗によりません、その民の平素の修養によります。善き宗教、善き道徳、善き精神ありて国は戦争に負けても衰えません。否(いな)、その正反対が事実であります。牢固(ろうこ)たる精神ありて戦敗はかえって善き刺激となりて不幸の民を興します。デンマークは実にその善き実例であります。
 第二は天然の無限的生産力を示します。富は大陸にもあります、島嶼(とうしょ)にもあります。沃野にもあります、沙漠にもあります。大陸の主(ぬし)かならずしも富者ではありません。小島の所有者かならずしも貧者ではありません。善くこれを開発すれば小島も能く大陸に勝(ま)さるの産を産するのであります。ゆえに国の小なるはけっして歎(なげ)くに足りません。これに対して国の大なるはけっして誇るに足りません。富は有利化されたるエネルギー(力)であります。しかしてエネルギーは太陽の光線にもあります。海の波濤(なみ)にもあります。吹く風にもあります。噴火する火山にもあります。もしこれを利用するを得ますればこれらはみなことごとく富源であります。かならずしも英国のごとく世界の陸面六分の一の持ち主となるの必要はありません。デンマークで足ります。然(しか)り、それよりも小なる国で足ります。外(そと)に拡(ひろ)がらんとするよりは内(うち)を開発すべきであります。
 第三に信仰の実力を示します。国の実力は軍隊ではありません、軍艦ではありません。はたまた金ではありません、銀ではありません、信仰であります。このことにかんしましてはマハン大佐もいまだ真理を語りません、アダム・スミス、J・S・ミルもいまだ真理を語りません。このことにかんして真理を語ったものはやはり旧(ふる)い『聖書』であります。
もし芥種(からしだね)のごとき信仰あらば、この山に移りてここよりかしこに移れと命(い)うとも、かならず移らん、また汝らに能(あた)わざることなかるべし
とイエスはいいたまいました(マタイ伝一七章二〇節)。また
おおよそ神によりて生まるる者は世に勝つ、われらをして世に勝たしむるものはわれらの信なり
と聖ヨハネはいいました(ヨハネ第一書五章四節)。世に勝つの力、地を征服する力はやはり信仰であります。ユグノー党の信仰はその一人をもって鋤(すき)と樅樹(もみのき)とをもってデンマーク国を救いました。よしまたダルガス一人に信仰がありましてもデンマーク人全体に信仰がありませんでしたならば、彼の事業も無効に終ったのであります。この人あり、この民あり、フランスより輸入されたる自由信仰あり、デンマーク自生の自由信仰ありて、この偉業が成ったのであります。宗教、信仰、経済に関係なしと唱(とな)うる者は誰でありますか。宗教は詩人と愚人とに佳(よ)くして実際家と智者に要なしなどと唱うる人は、歴史も哲学も経済も何にも知らない人であります。国にもしかかる「愚かなる智者」のみありて、ダルガスのごとき「智(さと)き愚人」がおりませんならば、不幸一歩を誤りて戦敗の非運に遭いまするならば、その国はそのときたちまちにして亡びてしまうのであります。国家の大危険にして信仰を嘲り、これを無用視するがごときことはありません。私が今日ここにお話しいたしましたデンマークとダルガスとにかんする事柄は大いに軽佻浮薄(けいちょうふはく)の経世家を警(いまし)むべきであります。