「空気」の研究について3(血液型考)

2010/05/08 23:34

臨在感が日本人の気質とは切っても切れないものであることは良く分かった。また、ある種の臨在感の共有こそが「空気」の正体であることも理解できた。
日本という国は、実にいろいろな「空気」で満たされている。まず、大きくは神道の空気に支配されている。仏教の空気もある。儒教的空気も否定できない。日本とは、実にこういった様々な「空気」の混交した国である。

少し話が飛ぶが、これはおそらく現代における最も日本的な「空気」の一つであると思うので述べさせてもらう。いわゆる「血液型信仰」についてである。
これは、科学の装いをした一種の信仰、宗教とでも言うべきものではないだろうか。

これにも様々な宗派があるようで、たとえば、わたしの知るある宗派では、A型は生真面目で融通が利かない。B型は発想が豊かで自由な考え方をする。あるいはAとBでは相性が悪く、BとOは愛称が良い。さらには、Aは、気質的にBには勝てないが、Oとでは優位に立てる、といった「教条」が並べたてられている。

実は、わたしは、若かりし頃によく外国人女性のいる飲み屋を飲み歩いて、得意満面でこの宗教についての薀蓄を披瀝して回ったものである。ところが、その都度、変な顔をされた。特にロシア系の女性に「あなたの血液型は?」などと訊くと、「何故そんなことを聞くのか」とあからさまに眉を顰められた苦い思い出がある。

しかし、このようなものを書いている通り、まったく収穫がなかったわけではない。まず、ロシアやウクライナでは血液型をABOで表現しないことを知った。たしか数字表記で1から4がそれぞれO,A,B,ABに対応していたはずである。

それと、ロシア系の女性は血液型などに全く興味がないことも良く分かった。もっともこれはロシア人に限ったことではなく、フィリピン人でも同じであった。ただ、フィリピン女性の場合は、その旺盛なサービス精神ゆえに興味を持って聞いている振りはしてくれた。イタリア人女性とも話したが、結果は全く同じであった。

結局、彼女たちが最も尊敬し信仰する人物はユキチであり、この点は国籍に関係なかった。わたしは、このことを発見するために相当な研究費を使わねばならなかったことは正直に述べておこう。

さて、上によりわたしの下した研究結果は次の通りである。
「血液型信仰」とは、血液型という一見科学的相貌を見せてはいるが、その正体は相も変らぬ日本的臨在感に基づく局所偏在的宗教であり、「空気」そのものである。

しかし、多くの学者や研究者が否定してもなおこのような俗説?は、衰えることなく何十年もの間隆盛を保ってきた。これは、よほど日本の風土との相性が良かったためであるとしか言いようがない。そして、このような風土とは、まさに「空気」を産み出す力、臨在感の支配する土地柄のことなのである。

ただ、ことわっておくが、わたしは「血液型信仰」を頭から否定するものではない。血液型とは赤血球のタイプを示すものであり、血液そのものの型ではない。血液には様々な血球が含まれており、血小板も好中球も好酸球もある。要は、「血液型信仰」とは、様々ある血液成分の中から赤血球の型のみをもって人の性質などを判断しようということであり、そもそもここに無理があると思うのである。

頭から否定するつもりがないと書いたのは、現にこれほど多くの優秀な日本人が少なからず影響を受けているという事実から逆に推していくと、血液と人の性質との間にはやはり何らかの科学的関係があり、いつか近い将来、それが明らかになる日が来ないとも限らないと思うからである。