Mare Fecunditatis 豊穣の海と唯識

2015/07/29 16:46  

 

空即是色に始まり、色即是空に終わる。それが三島由紀夫最後の作品豊饒の海である。 

三島は、これを完成させた昭和四十五年十一月二十五日、原稿を手ずから出版社に届け、その足で市ヶ谷の自衛隊駐屯地へ向かった。 

 

全四巻よりなる豊穣の海はまた、壮麗にして荘厳なる巨大建築物である。しかし、三島はその建築の初めからある企みをもっていた。それは、この巨大にして厳かなるカテドラルの中に一瞬にしてそのすべてを崩壊させてしまうキーストーンを仕掛けておくことであった。読者は、天人五衰まで読み終えたとき、キーストーンが見事に働き、完成したはずのカテドラルが轟音と共に崩れ落ちるのを実感することであろう。 

三島は、昭和四十五年七月七日付の「果しえていない約束」の中で次のように書いている。 

・・・この二十五年間、認識は私に不幸しかもたらさなかった。私の幸福はすべて別の源泉から汲まれたものである。 

なるほど私は小説を書きつづけてきた。戯曲もたくさん書いた。しかし作品を積み重ねても、作者にとっては、排泄物を積み重ねたのと同じことである。その結果賢明になることは断じてない。そうかと云って、美しいほど愚かになれるわけではない。 

 

日付から考えて、このとき、豊饒の海は完成を目前にしていたはずである。したがって、上の言葉は、三島文学の精華ともいうべきこの作品を除外したものではない。というよりも、上の発言はこの作品を明らかに意識してのものだったはずである。 

しかしこれは、いったいどういうことなのであろうか。 

三島は、この作品の完成に何年もの歳月を費やしている。それがようやく完成するというときに、恰もその辛苦を全否定するかのような言葉を吐いているのである。 

 

そうであるとするなら、その答は自ずと豊饒の海の中に用意されているはずである。そしてそれは、確かに第四巻天人五衰の最後の場面にある。ここに組み込まれたキーストーン、すなわち月修寺門跡となった聡子の言葉こそがそれなのである。 

 

その場面とはこのようなものである。

 

本作全四巻を通しての副主人公である本多繁邦は、自らの死が迫っていることを悟り、六十年ぶりに聡子を訪ねる。 

このとき本多の年齢は八十。一方作者である三島は、この作品と殉死するように四十五歳にして自ら命を断った。 

わたしには、歳こそ離れてはいるものの、本多は三島の代理人であり、聡子の理を超えた受け答えに呆然となり、この世の真の姿が分からなくなってしまったような彼の姿こそ、三島自身のそれであったのだ、と思われてならない。 

 

このとき聡子は、本多が語る話(それには聡子本人と松枝清顕との恋愛も当然に含まれる)を興味津々に聞き終えると、 

 

「えろう面白いお話やすけど、松枝さんという方は、存じませんな。その松枝さんのお相手のお方さんは、きっと人違いでっしゃろ」 

 

と応えるのである。 

 

この言葉は、この作品を崩壊させてしまうキーストーンであると同時にこの複雑怪奇なジグソーパズルを完成させるための最後のピースであったとも考えられる。 

その完成した絵にありありと現れてくるのは、今まさに死のうとしている三島の如何ともしがたい虚無の姿だった。 

 

ここで、改めて豊饒の海のストーリーを辿ってみよう。 

 

その第一巻、「春の雪」では、勅許のフィアンセがいるにもかかわらず、堂上華族綾倉家の一人娘聡子は松枝清顕との大恋愛の末に彼の子を妊娠する。出産することもフィアンセである宮家へ嫁ぐこともならず、聡子は綾倉侯爵知り合いの医者により大阪で意に反した堕胎をする。その後髪をおろし出家すると、二度と清顕と会うことはなかった。そうして聡子は後に月修寺門跡となる。 

一方、松枝清顕は聡子への思いを募らせていくが、月修寺門前まで来てもそれ以上中に入ることも叶わず、雪中待ち続けたために肺炎をおこしてこの世を去る。 

そして、その最後を看取った親友である本多繁邦に「今、夢を見ていた。また会うぜ。きっと会う。滝の下で」という謎のような言葉を残すのである。 

この言葉も次の巻へと繋がるキーワードになっている。また清顕は生前、本多に自分が生まれ変わることを告げていた。 

 

輪廻転生はこの小説の骨格を成しているが、最後まで読み終えると、三島がこれを主要なテーマとしていたのでないことは明らかである。 

 

第二巻は奔馬と銘打たれている。 

 

本多は、奈良県にある官幣大社大神(おおみわ)神社で催された剣道の試合に来賓として呼ばれるのだが、そこで出会った剣道三段の腕前を誇る十六歳の少年が偶然にもかつて清顕の書生を務めていた飯沼茂之の息子の勲であることを知る。 

勲の個人優勝を見届けた本多は、宮司に誘われるまま三輪山を登り、沖津磐座と高宮(こうみや)神社に参拝する。その帰り途、汗に塗れた彼は、宮司の勧めるままに三光の滝に打たれようとするのだが、そこにはすでに滝に打たれる三人の若者の姿があった。そのうちの一人が滝を離れ、本多に場所を譲った。飯沼勲であった。 

しかし本多は、あまりの滝の勢いに飛びのいてしまう。すると、勲が快活に笑いながら、両手を上げ重たい水の花籠を捧げ持ったようなポーズをしてみせる。本多に入滝の手本を示してやっているのであるが、このとき本多は、勲の右わき腹に清顕転生の印を見つける。そこには三つの黒子が認められたのである。(余計なことだが、このシーンには会話が一切ない。しかしこれが凄まじい滝の音を読者の意識下に刷り込む役目を果たしていることがよく分かる) 

飯沼勲は、清顕が手弱女とするならまさに益荒男であり、その豪放な性格通り激烈な死に方をする。政界の黒幕を暗殺したのち、太平洋を望む松林で赫奕たる朝日を浴びながら割腹して果てるのである。そして、ここでも勲の言葉が転生のメッセージとして尻取りのように本多へ、そして次の巻へと告げられる。 

 

「ずっと南だ。・・・南の国の薔薇の光の中で・・・」 

 

第三巻、暁の寺では、清顕は女に生まれ変わる。しかもタイ国の月光(ジン・ジャン)という名の姫である。幼い頃の彼女は、本多繁邦に会うと懐かしくてたまらないという様子を見せる。また清顕として、そして勲として生きていたころのことをよく憶えていた。また一度も行ったことのない日本をひどく懐かしがった。 

しかし、後日ジン・ジャンとピクニックに出かけた本多は彼女の脇腹に黒子がないことを見ていた。

 

それから年月は過ぎ、本多は老境に差し掛かっていたものの、成長したジン・ジャンに恋心を抱くようになっていた。十八歳になった彼女は日本に留学のため滞在していたのである。 

あるとき本多は、御殿場にある別荘の本棚に仕掛けた覗き穴から若いジン・ジャンの裸体を見ようとして、思いがけなくも友人の久松慶子とジン・ジャンが愛し合う姿に息を呑む。しかもこのとき、ジン・ジャンの脇腹には昴を思わせる三つの黒子が歴々とあらわれていた。 

その夜、別荘は火事になり、ジン・ジャンもそれを潮のように帰国し、以来消息不明となった。 

それからさらに年月が過ぎ、本多はアメリカ大使館に招かれた。その晩餐の席でアメリカ人と結婚したジン・ジャンに会うのであるが、彼女の態度は本多を初めて見るかのようによそよそしいものであった。 

ところが、ようやく話をしてみると、彼女はジン・ジャンではなく、実はその双子の妹だったのである。その妹の話によると、ジン・ジャンは二十歳の時にコブラに噛まれて死んでいた。 

 

そして最後の巻、天人五衰である。 

 

ここでは安永透という極めて知能の高い天涯孤独の少年が主人公である。彼は駿河湾を臨む清水港で帝国信号通信社清水港事務所に勤めている。 

透の仕事は三十倍率の望遠鏡と十五倍率の双眼望遠鏡を使ってそのファンネル・マークなどから入港する船を識別し、いち早く知らせることである。 

荷の軽重、海の気まぐれな性質が船の入港時刻を変えてしまうため、食堂やクリーニング屋や荷役や税関や検疫、水先案内人といった港町に付き物の仕事が大きな影響を受けてしまう。彼の仕事はそのような混乱を避けるために必要なものなのである。 

 

本多が、透の職場である異様に高いコンクリートの基底をもつ稀聳にして貧寒なる二階建ての木造建築に遭遇したのは、気ままな一人旅で三保の松原を訪れたときのことであった。 

このとき本多は、好奇心からこの奇妙な建物に興味をもっただけで、そこに掲げられた屋根つきの案内板からその役割を知って満足してしまうと透に会うこともなく帰京している。 

二度目にここを訪なったのは、久松慶子のためであった。慶子は本多にこのように頼むである。 

「今お謡で『羽衣』をあげたところなのよ。でも私、まだ三保の松原を見ていないのよ。本当に日本の中で見ていないところが多くて恥ずかしいわ。二三日内に一緒に行って下さらないこと?」 

 

こうして本多と安永透は邂逅し、本多は透が清顕の生まれ変わりであると確信する。そして、このマキャベリ的な性質を持つ少年を養子にするのである。 

養子となった透は、やがて本多を精神的に虐待するようになる。それを見かねた久松慶子は、クリスマスイブの晩餐に麻布の自宅に招く。それは透が十九歳のときのことである。そこで慶子は、本多が透を養子にしたわけを滔々と語って聞かせるのである。そして、輪廻転生の話に動揺を隠せない透に追い打ちをかけるように、 

「あなたは、私の見たところ本物の生まれ変わりではない」 

と止めを刺すのだ。 

一二月二八日、透は服毒自殺を図るが失敗し、視神経委縮による失明者となってしまう。 

そして、翌年三月二十日の誕生日になっても透には待ちわびた死が訪れる気配はない。透は点字を学び、レコードの音楽を聞いて過ごすようになる。また透は、彼を慕う狂疾の娘と結婚することを本多に請い、許しを得て結婚する。 

 

一方、本多は癌に罹っており、先がないことを自覚している。 

そして、そのことに後押しされるように、聡子に会いたいという清顕の最後の願いを伝えるために立ち寄って以来、この六十年もの間訪うことのなかった月修寺に聡子を訪ねるのである。 

 

月修寺を前に本多はこのような感慨に打たれる。 

「俺はただここを再訪するためにのみ生きてきたのだ」 

聡子には訪いの許しを請う手紙を出してあった。 

本多は聡子と対座すると、 

「突然あのような手紙を差し上げまして、ご無礼を致しました。快くご引見下さって、ありがとう存じます」と挨拶をする。 

そして、手紙を読んだという聡子の言葉に勢いを得て、 

「お懐かしゅうございます。私もこの通り、明日をも知れぬ老いの身になりまして」 

と思わず軽佻の響きを持つ言葉を口に出してしまうのだが、 

それに対して聡子は、微かに揺れるように笑いながら、 

 

「お手紙をな、拝見いたしまして、余りご熱心やさかい、どうやらこれも御仏縁や思いましてな、お目にかかりました」 

 

これを聞いた本多の口からは、自分の裡にほんの二三滴的余瀝のように残っていた若さが迸り出た。 

「清顕君のことで最後のお願いでここに上がりましたとき、御先代はあなたには会わせて下さいませんでした。それも致し方のないことだとあとでわかりましたが、その当時はお恨みに思っておりました。松枝清顕は何と云っても私の一の親友でございましたからね」 

 

そして、次の聡子の言葉である。ここで初めて三島の仕掛けたキーストーンとなる言葉が聡子から発せられるのだ。 

 

「その松枝清顕さんという方は、どんなお人やした?」 

 

このときの本多の驚きはそのまま読者の驚きとなる。 

本多は呆然と目を見開いた。 

聡子の言葉の意味は、幻聴とも受け止められるほどに理を外れていたからである。 

「は?」と本多はことさら反問してみせる。聡子にもう一度同じことを言わせようとしたのである。 

しかし、その二度目に発せられた言葉は最初と寸分たがわぬものであった。そこには衒いも韜晦もなく、むしろ童女のようなあどけない好奇心さえ窺われ、静かな微笑が底に絶え間なく流れている。 

 

ようやく本多は、門跡が本多の口から清顕について語らせようとしているのであろうと察し、一日もゆるがせにせぬ記憶のままに物語ってみせる。 

門跡はその長話の間、端座したまま微笑を絶やさず、何度か「ほう」「ほう」と相槌を打った。途中で一老が運んできた冷たい飲物を、品よく口もとへ運ぶ間も、本多の話を聴き漏らさずにいるのがわかる。 

 

本多の話を聞き終わった聡子はこのように返す。 

 

「えろう面白いお話やすけど、松枝さんという方は、存じませんな。その松枝さんのお相手のお方さんは、きっと人違いでっしゃろ」 

 

本多は怒りに駆られ咳き込みながらこう門跡を追及する。 

「しかし御門跡は、もと綾倉聡子さんと仰言いましたでしょう」 

「はい。俗名はそう申しました」 

「それなら清顕君を御存じでない筈はありません」 

本多には門跡が白々しい嘘をついているように思えたのである。 

しかし、門跡は本多の則を超えた追及にもたじろがない。 

「いいえ、本多さん、私は俗世で受けた恩愛は何一つ忘れはしません。しかし松枝清顕さんという方は、お名をきいたこともありません。そんなお方は、もともとあらしゃらなかったのと違いますか?何やら本多さんが、あるように思うてあらしゃって、実ははじめから、どこにもおられなんだ、ということではありませんか? お話をこうして伺っていますとな、どうもそのように思われてなりません」 

 

「では私とあなたはどうしてお知り合いになりましたのです? また、綾倉家と松枝家の系図も残っておりましょう。戸籍もございましょう」 

 

「俗世の結びつきなら、そういうもので解けましょう。けれど、その清顕という方には、本多さん、あなたはほんまにこの世でお会いにならっしゃたのですか? 又、私とあなたも、以前たしかにこの世でお目にかかったのかどうか、今はっきりと仰言れますか?」 

「たしかに六十年前ここへ上がった記憶がありますから」 

「記憶と言うてもな、映る筈もない遠すぎるものを映しもすれば、それを近いもののように見せもすれば、幻の眼鏡のようなものやさかいに」 

この門跡の言葉に本多はなおも抗おうとする。 

「しかしもし、清顕君がはじめからいなかったとすれば、それなら、勲もいなかったことになる。ジン・ジャンもいなかったことになる。・・・・・・その上、ひょっとしたら、この私ですらも・・・・・・」 

門跡の目ははじめてやや強く本多を見据えた。 

「それも心心(こころごころ)ですさかい」