奔訳 白牙7

2016/04/12 21:55

慌てる風でもなく、不幸な事実を拒否するかのようにビルは首を回して、その場から犬の頭数を数え始めた。
「なんでこんなことが起こったんだ?」彼は悲愴を面に出して言った。
ヘンリーは肩を竦めてみせる。「分からねえ。ただ、片耳の奴があいつの革紐を切っちまったとしか思えねえ。そうじゃなきゃ、あいつがひとりで切れるわけがねえからな。それだけは確かだ」
「あの馬鹿犬が」とビルは、怒りを抑えようとゆっくり絞り出すように言ったが、内にこもった怒りは隠しようがなかった。「あいつは、自分がどうにもできねえもんだから、スパンカーの紐を切っちまいやがったのか」
「まぁ、どっちにしろスパンカーのことはもういくら考えたって始まらねぇよ。今頃奴は、二十頭もの狼どもの腹の中で踊りまくっているだろうからよ」というのがヘンリーの、つい先ほどまで生きていた犬に対する哀悼の辞であった。「さぁビル、コーヒーを飲めよ」
しかし、ビルは首を横に振った。
「さぁ」ヘンリーがポットを差し上げながら懇願するように言う。
だが、ビルはカップを脇に押しのけてしまった。「そんなものを飲めば、俺は本当のアンポンタンになっちまうぜ。俺が言ったこと憶えてるだろ。俺は、一頭でも犬を失えば飲まねえと言ったはずだ。だから、俺は飲まねぇ」
「いいコーヒーなんだがなぁ」とヘンリーが水を向ける。
しかしビルは頑固で、乾いた朝飯を片耳のしでかしてしまったことに対する悪態と共に呑み込んでしまった。

「俺は今夜、あいつらが互いの紐に届かないように繋いでみせてやるぜ」とビルは、出発際に宣言した。

そうして橇が100ヤードほど進んだとき、前を歩いていたヘンリーはカンジキに何かが触れたのを感じ、立ち止まってそれを拾い上げた。辺りが暗いので、それが何であるのかよく見えなかったが、彼はそれを感触で察知した。彼がそれを後ろに放り投げると、橇に当たって跳ねビルの前に落ちた。彼はそれをカンジキで探ると拾い上げた。
「そいつは、お前さんが今晩やろうとかいう仕事の役に立つんじゃねぇか」とヘンリーが声を上げる。
ビルが驚きの声を発した。それは、スパンカーの遺留品――彼を繋いでいた棒だったのである。
「奴らは皮まで喰っちめぇやがったのか」とビルは声を上げた。「この棒は笛みてぇにつるっつるっだし、皮紐の端まで喰っちまってやがる。ヘンリー、奴らは恐ろしいほど飢えてやがるぜ。下手すると、俺たちはこの旅が終わるまでに二人とも喰われちまってるかも知れねぇ」

ヘンリーは豪胆にも笑ってみせた。「俺はこれまで狼連れの旅をやったことはねぇがな、これ以上の悪い目には何度も会ってきたつもりだぜ。だがなぁ、ほれこの通りぴんぴんしてらぁ。もう10頭くれぇあの腹ペコどもがついてきたってどうってこたぁねぇぜ、ビルさんよ」
「ああ、これからいったいどうなることやら」とビルは、不安そうにぶつぶつ呟いた。
「いやぁ、マックガーリーに着いたらそんな気分なんか吹っ飛んじまわぁな」
「俺はとてもお前さんのような楽観主義者にはなれねぇ」とビルが言い張る。
「お前さんは身体に変調をきたしているに違ぇねぇ。それがお前さんの不安の原因なのさ」とヘンリーが教義を垂れる。「お前さんに今必要なのはキニーネよ。俺がちゃんとマックガーリーまで着けるようそいつを処方してやらあな」
ビルはヘンリーの診断に不満の唸り声を上げたが、そのまま黙り込んでしまった。

その日もまた、それまでの日とまったく同じであった。九時に陽が射し始めた。十二時になると南の地平線が顔を出さない太陽の息吹で暖かな色に染まったが、すぐに冷たい灰色の午後が混じったと思った三時間後には夜になっているのであった。