哲学につける薬3

2016/04/16 17:33

実人生にとってどーでもいいようなことを、何の現実的利益もないことを大真面目な顔をして考えるのが哲学者といわれる人種である。たとえば、「わたし」がこの世に生まれたのは偶然であったのだろうか、それとも必然であったのだろうか、などというような愚問に四六時中現を抜かすのが彼らである。彼らであって彼女らではないところが実に悔しいが、哲学者が女にもてない最大の理由がここにある。

わたしは哲学者ではないから女にもてるのは当然として、そんなわたしでも、何のご利益もない上のような問に対する、いわば定見のようなものは持っている。それは、少しばかり奇異に聞こえるかもしれないが、「わたし」には「両親」がおり、その「両親」にもまた『両親』、つまり、「わたし」から見て「両祖父母」がいて、・・・とこれが延々と続いていくということ。したがって、この「わたし」が存在するのは必然以外にはありえない、ということである。
「おまえさん、何をばかなことを言ってござる・・・」と思う方は、少し考えていただきたい。わたしは、「わたし」を生んだのは、勿論「両親」ではあるが、この宇宙が「わたし」を生んだと考えても、それは等価であると言っている。と言うよりも、この宇宙と「わたし」とは一体のものであり、「わたし」の存在しない宇宙など最初からあり得なかったのである。

つまりわたしは、πという無限に続く数字の羅列のどこかに「わたし」という存在が書かれていると考える者である。πは考えようでは一つの宇宙であり、その中に書かれた「わたし」という存在はπと一体のものである。

勿論、これはある種の信仰であり、他のすべての信仰と同じく現実的には何等のご利益も期待できない。
神があると信ずるのも、ないと信ずるのも信仰であり、自分を偶然の産物と考えるのも、また必然的存在と考えるのも信仰である。

そうすると、つまるところ、哲学者も、宗教家も同じ穴の狢ということになるのだろうか。どちらも現実的にはなんの役にも立たない職業ということではないのだろうか。