奔訳 白牙8

2016/04/19 19:58

そうして太陽が顔を出そうか出すまいか無駄な逡巡を繰り返している頃、ビルは橇に縛りつけたライフルを抜き出しながら言った。
「お前さんはこのまま橇を進めて行ってくれ。俺はこの目で見て確かめねばならねぇことがあるんだ」
「そのまま橇に貼りついていた方がいいんじゃねぇか、ビル」と連れが異を唱える。「お前さんには弾が三つしかねぇわけだし、何が起こるとも分からねぇ」
「へえ、今度はお前さんが弱音を吐く番になったのか」とビルが勝ち誇ったように質した。
ヘンリーは、それには何も応えず一人橇を進め始めたが、それでもときどき連れが消えていった寂しい灰色の雪原に視線を投げかけた。一時間が過ぎ、橇の進行方向とクロスするようにビルが戻ってきた。
「あいつら、てんでバラバラに広がってしまっていやがる」と彼は言った。「俺たちの後を追いながら同時に他の獲物も探しているんだ。分かるだろ、俺たちは奴らのターゲットなんだが、餌食にするにはまだ少しばかり時間がかかるってわけさ。それで、その間奴らは何でもいいから手近な食い物があれば、それでしのごうってわけよ」
「お前さんは、奴らが俺達を既にものにしたつもりでいると言っているのか」ヘンリーは要点を投げつけた。
しかしビルはそれを無視した。「俺は何頭か奴らを見たよ。皆恐ろしく痩せていた。俺が思うに、奴らはここ何週間なにも口には入れていねぇはずだ。ファッティとフロッグとスパンカー以外にはな。そんな奴らがそこら中にいて、俺たちから決して離れようとはしねぇんだぜ。とにかく、びっくりするほど痩せている。肋なんて洗濯板のようだし、腹は引っ込んじまって背骨とくっついちまってやがる。もう、死に物狂いと言ってもいい。いや、まだそこまではいっちゃぁいねえ。だから俺たちをじっと観察しているわけだ」
それから数分後、今度はヘンリーが橇の後ろを受け持っていたのだが、低い警戒の口笛を吹いた。ビルが後ろを振り返って見て、静かに犬たちの歩みを止めた。後方、最後に曲がった辺りにはっきりと、間違いようもなく自分たちの橇の跡を追っているほっそりした形が見えた。鼻はぴったり跡に貼りつき、その足並みはどこか奇妙で、滑るようなぎこちないものであった。二人が止まるとそれも止まり、頭をもたげて鼻をひくつかせ彼らの臭いを分析しているような様子を見せた。
「あの雌狼だ」とビルが応じる。
雪の中に身体を延べている犬たちを通り過ぎ、彼は橇の後ろにいる連れと合流した。そうして二人、彼らを何日も追い続け既に橇犬チームの半分を破壊してしまった正体不明の獣を観察し始めた。
獣の方も男たちを念入りに観察した後、何歩か前に駆け寄った。これを何度か繰り返し、距離が百メートル足らずにまで詰まった。雌狼は、一叢になった唐檜のそばで止まったまま、眼と鼻を使って自分を観ている男たちを詳しく調べているようであった。しかもその様子には、ときおり犬が見せる奇妙なほどの切なさがこもっていた。しかし、そこには犬が人に持つ愛着の念は一片も感じられない。それは飢餓が産み出す切なさであり、牙と同じ残酷さと凍土の持つ無慈悲を秘めたものだったのである。
狼にしては大きく、痩せた骨格が示すのはその種のものとしては最大のものである。
「肩まで七十五センチ程と言ったところだな」とヘンリーが一言述べる。「それに、俺は賭けてもいいが、体長は百五十センチ以上あるぜ」
「狼にしてはおかしな色だぜ」というのがビルの批評である。「俺は今まで赤い狼なんてのを見たことがねえ。俺にはシナモンのように映るぜ」
その獣はまったくシナモン色などではなかった。毛並みは真正の狼のものであった。基調を成すのは灰色で、そこに微かな赤っぽい色相が混じっているのだが、それが見え隠れするため、遠目にはイリュージョンのような、今は灰、はっきりした灰色であっても、次の瞬間には微かな赤っぽい光が宿り、見たこともない何とも形容しがたい色に変わるのであった。
「大きなハスキーの橇犬ってところだな」ビルが言った。「奴が尾っぽを振っても俺は驚かねえ」
「おーい、そこのハスキー」と彼は呼んだ。「こっちへ来てみな、おめぇの名前など知ったこっちゃねえが」
「お前さんにはちっとも気はねえ見てえだぜ」とヘンリーが笑った。