奔訳 白牙11

2016/04/28 08:04

しかし、寝床に入っても安眠はかなわない。瞼が重くなって閉じようとするたびに狼どもが近づいてきて襲い掛かろうとするからである。
もはや目を凝らして見る必要さえなかった。狼は焚火の周りにうようよいて、彼を取り囲むように小さな円を描き、あるものは寝そべり、またあるものは座りこみ、また別のあるものたちは腹這いになったままにじり寄ろうとし、あるいはこそこそと行ったり来たりしている様子が焚火の光に明らかなのである。中には眠り込んでいるものもいた。雪中あちこち犬のように尻尾に鼻先を突っ込んで眠りこけている姿を見ると、眠れぬ自分に一層の腹立たしさを覚える
狼どもの牙から己が身を守る唯一の手段として、焚火を常に明るく燃やし続けねばならなかった。二頭の犬たちは彼の両脇に庇護を求めてぴったりくっ付いたまま吠え声を上げたり鳴いたりしており、時おり狼どもが通常の距離を越えて近づくとたちまち激しい狂ったような唸り声を上げた。その声に狼の群れ全体が刺激され、全員が起き上がってあまり気乗りしない様子ながら前ににじり寄って来るので、彼の周囲は唸り声と肉を求めての吠え声の大合唱となる。しかし、輪は再び広がって、あちこちで遮られた眠りを再開するものもいた。

しかしながら、この輪は彼を中心に常に縮まろうとする性質を持っていた。少しづつ、一寸づつ、あちらでもこちらでも匍匐前進を試みる狼どもで、一気に襲い掛かれる距離までこの輪は縮小しようとしているのである。彼は、焚火から燃えさしをいくつか掴んでは群れの中に放り投げた。その度に慌てふためいて輪は後退し、不敵にも近寄りすぎた狼にこれがうまく的中すると毛を焦がして鳴き声を上げたり、恐怖に唸り声を上げたりした。

朝が来ると、ヘンリーは目がくぼむほど疲れてしまっていたが、寝不足にも関わらず目は大きく見開いたままであった。暗闇の中、朝飯を作って食い、九時になって陽の光が射しこむと狼たちも引き揚げて行ったので、彼は眠れぬ長い夜のうちに思案していた計画に取り掛かった。若木の枝を切り落として十字に組むと木の幹に沿って高い足場を作っていった。そして橇の引き紐をロープ代わりに二頭の犬と自分とで棺をその足場の上まで持ち上げたのである。
「奴らはビルを喰っちまいやがった。次は俺かも知れねぇがよぉ、お前さんだけは大丈夫だ、若いの」と彼は木の霊廟に向かって話しかけた。
そして彼は旅を続けた。軽くなった橇は、その気になった犬たちの後を弾むように走り出した。犬たちにもフォートマックガーリーが自分たちの安全に直結していることが分かっていたのである。狼たちは、もはや嘘も隠しもなく大っぴらに彼ら追跡をしていて、厳かなと言ってもよいほどの態度で橇の両側に広がったまま、赤い舌を垂らせ、痩せて飛び出た肋骨を波打たせながら後を追っているのである。彼らはまさに骨の上に皮を被せただけで、筋肉などただ骨と皮をつなぐ紐でしかないほど痩せているのだが、ヘンリーには、それほどまでに痩せていながら、彼らが雪の中に突っ伏すでもなく平然と走り続けておられるのが不思議でならなかった。

彼は敢えて、暗いうちからは出発しなかった。日中、南側の地平線が暖かく染まっても、陽はただその蒼ざめた金色の縁を突いているだけである。彼は、それがサインであることを知っていた。日はだんだんと長くなってきているのだ。太陽は復活しつつあった。しかし、嬉しくなるほどにはその光は長くもたず、すぐにキャンプを張らねばならない。今はまだ、わずか数時間ほど灰色の昼とあるかないかの黄昏があるだけである。その短い時間を利用し彼は大量の枝を打って薪を作った。
恐怖の夜がやってきた。飢えた狼どもが大胆不敵になってきたせいだけではなく、寝不足が祟り始めていたのである。彼は肩に毛布を掛けて焚火の傍にしゃがみ込み、膝の間に斧を握りしめたままうつらうつらしはじめた。その両脇を二頭の犬がぴったり身体を圧しつけている。そんなとき彼がふと眼を覚ますと、わずか十メートルほど先に群れの中で最も大きな灰色をした狼がいるのに気がついた。見ていると、そいつはだらけた犬のような態度で大きく身体を伸ばし、大欠伸とともに少しばかり遅くなっている食事を見るような眼で彼を睨めつけた。
このような態度は群れ全体に見られた。全てを数えたわけではないが、狼どもは飢えた眼で彼を見ているか、あるいは静かに雪の上で寝ているかである。その様子は彼に、食事の並べられたテーブルを前に、親の許しを待っている子供たちを思い起こさせた。いったいどのように、そしていつこの食事は始まるのだろうか、などと彼は他人事のようにぼんやりと思った。