奔訳 白牙15

2016/05/14 14:51

第二部

第一章 牙の闘争


男たちの掛け声や橇を引く犬たちの活発な吠え声を最初に聞き、そして消えようとする火輪の中に男を後一歩のところまで追い詰めておきながら、さっと最初に身を翻したのも雌狼であった。群はしかし、せっかくの獲物を見逃すまいと、しばらくは男のそばを離れようとしなかった。が、音や声がしかと耳に届くようになると雌狼の後を追って走り始めた。

先頭を走るのは灰色をした大きな狼で、いくつかある集団のリーダーの一頭であった。彼は雌狼の後を追い、群全体がその後に続いている。彼は、自分に先んじようとする生意気な若いリーダーに対し唸り声を上げて威嚇し、あるいは牙で切り傷を与えた。そうして彼は、猛スピードで走っていたのだが、雌狼の姿が視界に入ったとたんに速度を落とし、ゆっくりと彼女に近づいていった。

彼女は、恰もそれが指定席であったかのように彼の隣に並ぶと、群のペースメーカーとなって走り始めた。彼は、彼女が彼より前に出ても唸り声も上げず牙も見せなかった。そればかりか、彼女に先を譲って自分はただ彼女のそばを一緒に走っていればいいという態度であったが、余りに近づきすぎて彼女から唸り声をたてられ牙を見せられることになった。実際に、時折彼女は、彼の肩口に牙を見舞った。しかしそんな時にも彼は怒らなかった。ただ横に飛びのいて、少しだけまた先頭に立ってぎこちなく走り出すのだが、それはどこか田舎の恋する若者を彷彿とさせた。

これが彼の目下の困りごとであるとするなら、彼女の側にはもう一つ困りごとがあった。別の側を痩せて年老いた狼が、幾たびもの闘争を物語る古傷のついた灰色の狼が走っていたのである。この狼は常に彼女の右を走っている。それは彼が隻眼で、左目しか見えないためであった。さらには、この狼は傷跡の残る鼻先で執拗に彼女の身体に、肩や首にタッチしようとした。左にもう一頭従えて走りながら彼女は、この言い寄りに対し牙で応じたが、双方が同時に言い寄って来ると、手荒く押しのけ二頭に素早い牙を浴びせて追い払い、自分はひとり先頭に立って真っ直ぐ走り始めた。すると二頭のライバル同士は互いに牙をむき出しにして威嚇の唸り声を上げた。いずれ雌雄を決せねばならぬであろうが、今はまだそれよりも群全体の飢えを満たすことの方が先であった。

いがみあいの後、古狼は突如として、彼の中の何か強い欲求に促され、彼の見えない側を走る三歳の若い狼に体当たりした。この若い狼は、群全体の弱々しく飢えた状態と比べて立派な体格をしており、それに応じて精神的にも頑強で溌剌としていた。この狼は、片目よりも頭一つ、いや身体半分後ろを走っていた。が時折、片目と肩を並べようとして、そのたびに片目から唸られたり牙の洗礼を受けて引き下がっていた。しかし彼は、これにも懲りず、ときどき慎重にゆっくりと後に下がると、片目と雌狼との間に割って入ろうとした。これは、二重の、いや三重の怒りを招くことになった。彼女が唸り声を上げて怒りを表すと、老いたリーダーはこの若造に襲い掛かった。また、彼女自身もこれに加わった。そしてまた、これに左側の若いリーダーも加勢した。

このように三頭全てを敵に回してしまい、彼は否応もなく走るのを止め、四肢を硬直させ、口を凶暴に歪ませ、首の毛を逆立てて腰を降ろしてしまった。先頭のこのような混乱は得てして後方の群れにも混乱をもたらした。