奔訳 白牙13

2016/05/04 20:00

彼は思い切って橇を出発させようと試みた。が、火から離れた途端に勇敢な狼が彼に跳びかかってきた。しかし、わずかに届かなかった。彼が慌てて跳び下がったので事なきを得たのだが、太腿からわずか十五センチほどのところで顎が閉じた。残りの狼たちも今や彼に近づいて襲い掛かろうとする気配を見せていて、火のついた木を右に左に投げつけねばどうにもならなくなっていた。

日の光の中でさえ、彼は絶えず火に新しく木をくべつづけねばならなかった。六メートルほど先に大きな唐檜の枯れ木があった。彼は、手元に五、六本、火のついた木をいざという時に投げられるよう用意しながら、半日かけて焚火をそこまで延長させた。木までたどり着くと、彼はどの方向が最も薪を集めやすいか周りの林をよく調べた。

その夜も前夜と同じく寝る時間の確保が至難になってきていた。二頭の犬の唸り声は、もはや効力を失いつつあった。彼らは常に唸っているので、彼の次第に麻痺し鈍くなってきた感覚と相まって、そのピッチや激しさの変化にも気が付かなくなっていたのである。
そのとき、彼ははっと目を覚ました。見ると、あの雌狼が一メートルと置かず自分の前にいるではないか。機械的に、最も手近な木を拾って、飛び退く間も与えず、その大きく開いて唸り声を上げる口めがけて投げつけた。彼女は跳び下がりながら苦痛に大きな鳴き声を上げ、毛と肉の焼ける臭いに彼はしばし喜びを味わったが、彼女は何メートルか先で頭を振りながら憤怒の唸り声を発している。

今回、彼は睡魔に襲われる前に火のついた松の枝を右手に縛り付けた。目が閉じようとしても、右手の火が手を焦がそうとするので眠ろうにも眠れないというわけである。何時間か、これを続けてみた。このようにしてずっと起き続け、近づいてくる狼に燃えさしを投げては追い払い、絶えず新しい薪をくべ、また新しい松を右手に縛り付ける。しばらくはこれで調子よくいったが、やがて彼はぞんざいに松を縛るようになった。そうして、眼が閉じた途端に松の枝は手から摺り落ちていった。

そのとき彼は夢を見ていた。夢の中で、彼はフォートマックガーリにいた。そこは暖かくて居心地がよく、彼はそこの管理者と二人トランプをしているのである。しかも、彼にはそこが狼に取り囲まれていることが分かっている。狼どもは門のところで吠え声を上げているのだが、彼と管理者は、時折トランプの手を休めてはその声に聴き入り、無駄なことを、と笑っている。しかしそのとき、夢とは不思議なもので、何かが割れる大きな音がした。と思うとドアが押し破られた。彼はフォートの大きな居間に狼たちがなだれ込んでくるのを見た。狼どもがまっすぐ管理者と彼に跳びかかってきた。開いたドアからは彼らの吠え声が途轍もなく大きく響いてくる。その声が彼には鬱陶しい。夢は今や、彼にもよく分からぬ何か別のことと混交してしまっており、それがずっと彼に付き纏って止まないのだ。

だが、ふと目が醒めて気が付くと、その吠え声は現実のものであった。ものすごい唸り声と鳴き声。狼どもは彼に襲い掛かってきた。彼らは一斉に彼を狙って襲い掛かろうとしている。そのうちの一頭が彼の腕に噛みついた。

本能的に彼は火の中に飛び込んだが、そのとき足の肉が切り裂かれる鋭い痛みを感じた。それからは文字通り火の戦いが始まった。丈夫なミトンが一時的にせよ彼の手を保護してくれたので、彼は炭火を掬い上げてあらゆる方向に放り投げ、焚火は恰も火山の様相を呈した。

しかし、それも長くは続かない。彼の顔は熱で水膨れになり眉毛も睫毛も焦げてなくなり、足は熱くて堪えられなくなった。火のついた木を両手に持つと、彼は火の縁を飛び越えた。狼どもはすでに後退している。あちこちに炭火が落ちて雪が音を立てて解け、鼻声や唸り声を上げている狼どもにこれより先に行ってはならぬと告げているのであった。

彼は近くの狼に燃えさしを投げつけると、煙を上げているミトンを雪に圧しつけ足を冷やすために足踏みをした。犬は二頭とも消えていたが、彼には、その二頭が少々遅れはしていたものの、何日か前にファッティから始まり、そして翌日か翌々日には自分で終わりになるであろう食事のコースの一つに過ぎなかったことを知っていた。

「おめえらはまだ俺を喰っちゃあいねぇぞ!」と彼は、両手の拳を激しく振りかざしながら飢えた獣たちに叫んだが、これに群れの輪が扇動されてあちこちから唸り声が上がった。そんな中、雌狼がひとり雪の中を滑るように近づいてきては物欲しそうな眼で彼をじっと見詰めた。