奔訳 白牙26

2017/02/28 06:26


ハリネズミは毬を開ききらないうちに敵に気がついた。その瞬間、山猫が前足のパンチを繰り出した。閃光のごとき速さであった。前足の硬い爪が猛禽の鉤爪のように弧を描き柔らかな腹をえぐって元の位置に戻った。もしもハリネズミが完全に毬の形を解いていたら、あるいは敵を察知するのがもう少し遅かったなら、山猫は前足に損傷を受けずに済んだであろう。が、腹をえぐった瞬間、ハリネズミが横に振った尻尾の一撃を喰らい、鋭い棘を突き立てられてしまった。
すべては一瞬のできごとであった。前足の一撃、そして尻尾の反撃、ハリネズミが苦痛から放つ鋭い金を切るような鳴き声、大猫が思わぬ痛みと驚きから発する喚き声。片目は興奮の余り片身を乗り出したが、その耳は直立し、尾はまっすぐ後ろに伸びたまま痙攣している。山猫の怒りは絶頂に達していた。彼女はわが身を傷つけたものに我を忘れて襲い掛かかろうとした。しかしハリネズミは、弱々しくも破裂した腹のまま再び毬の形になろうと、鋭い泣き声とも恨みの声ともつかぬ声を上げながらその尻尾をまた横に打ち払い、そのためにまた大猫は激痛と驚きから喚き声を張り上げねばならなかった。そのまま彼女は後ろにひっくり返ってくしゃみをしだしだしたが、見るとハリネズミの長い棘が突き刺さって、鼻がまるで巨大な針刺しのようになっている。彼女は、両前足を使って鼻に刺さった火のような棘をこそぎ落とそうとしたり、雪の中に鼻を突っ込んだり、あるいは木の小枝や枝に擦り付けて取ろうとしたが、そのたびに気の狂いそうなほどの痛みと恐怖から前に、左右に、上下に飛び跳ねた。

彼女はひっきりなしにくしゃみをし、そのたびに尻尾の先が鞭のように激しく前に打ち出された。と、彼女はふいにその茶番を止め、しばらく静かになった。片目は息を呑んで見ていた。彼は、山猫が突如高くジャンプして、空中にまっすぐ伸び上がり長く恐ろしい喚き声を上げるのを聞いたとき、背筋に沿っての毛がみな逆立つのを禁じ得なかった。そうして彼女は、飛び跳ねるたびに喚き声を上げながら自分の巣の方へと走り去っていった。

その騒がしい声がまだ消えきらないうちに片目は前へ進み出た。彼は、雪の上にハリネズミの棘が散乱していて、柔らかな足裏をいつ突き抜いてしまうか分からないということもあって、用心深く歩を進めた。ハリネズミは、片目の接近に気が付くと憤怒の鳴き声を上げ、その長い歯で歯噛みをしてみせた。そして再び毬になろうとしたが、なにしろその筋肉が大きく裂かれてしまっているため、前のような完全な毬になることはできない。それはほとんど半分に裂かれ、まだ夥しい量の血が流れていた。

片目は下顎でその血が浸み込んだ雪を掬って口に入れると噛んで味わいながら呑み込んだ。これは空腹を一層掻き立てた。が、彼はそれに負けてしまうには十分すぎるほど齢を重ねていた。彼は待った。腹ばいになったまま、彼はじっと待ったが、一方ハリネズミは歯噛みをしながら不満げな泣いているような、そうしてときおり鋭い小さな金を切るような声を上げた。それから少しして、片目はその棘が力なく寝て、全身が大きく痙攣するのに気がついた。が、その痙攣もふいに終わった。そして最後の抵抗のような長い歯の軋るギリッという音。そうして長い棘が完全に寝て平たくなり、全身が弛緩してまったく動かなくなった。

恐る恐る震える前足で、片目はハリネズミを長く伸ばして、それから仰向けにひっくり返した。何も起きなかった。間違いなく死んでいる。さらに念を入れるように調べると、彼はそれを歯にしっかりと咥え、その棘だらけの身体が自分の進行の邪魔にならぬよう頭を横に向けたまま半ば引きずるようして下流に向かって走り出した。途中で何かを思いだしたようにその荷物を落とすと、ライチョウを置いたところまで駆け戻った。一瞬の躊躇いもない。彼は何を今すべきか心得ていて、その通りライチョウを腹に収めたのだ。それから再び荷物を取りに戻った。

彼がその日の成果を洞穴の巣へ持ち帰ってくると、雌狼はそれを嗅ぎ、鼻先を彼の方に回して軽くその首筋を舐めた。しかし、次の瞬間、彼女は唸り声を上げ彼を子供たちから離そうとしたが、それは普段より幾分おとなしく、また幾分申し訳なさそうな調子を帯びたものであった。本能的な父狼への不信と恐怖は衰えていた。片目は父親としてなすべき振る舞いをちゃんとしており、彼女がこの世に産み出した幼い命を貪り食うなどという不名誉な欲望は微塵も見せなかったからである。