やはりそうだったのか

以前に、一月ほど前に書いたことだが、やはり「有名人の死が多すぎ」たのだ。

つい先日、あるネットの記事に東京都の超過死亡が過去5年間に比べて千人ほど多いということが書かれているのを見た。その時の、私の感慨というのがタイトルに記した「やはりそうだったのか」だった。

超過死亡というのは、例年に比べて今年の死亡者の数が多いことをいう。もちろん、人間の死は個別には、あなたの余命はあと何年と何ヶ月などと決められるものではない。それは、例えば一個の電球(今は製造もされていないが)が後何時間点灯可能かがはっきりと分からないのと同じことである。しかし、その電球が百個、千個と多くなればなるほど平均としての寿命は大体正確にわかってくる。人間の寿命、あるいはある都市、あるいは国における死亡率もそんなに年によって変わるものではない。

ところが、である。今年の三月、四月における東京都の死亡者数は先に述べたとおり、千人ほども多いということなのである。

このことが何を意味するか、よほど鈍感でなければ容易に気がつくであろう。コロナである。

わたしは、日本のコロナ死亡者が本当に少ないと思っていた。いや、思い込まされていたのである。

本当にそうなのか、今それを断定することは避けておこう。なぜなら、それを確かめる方法もないし、超過死亡が多い理由は他にあるかも知れぬからである。

しかし、わたしが感じていた「余りに有名人のコロナ死が多い」という感覚を裏付ける証左にこれはなるのではないだろうか。そして、わたし達は政府などが公表する数字を鵜呑みにしてはいけないという、これは大いなる警告と捉えるべきなのではないだろうか。