気 について

1週間ほど、大した病ではないが止んでいた。大した病ではなかったから病んでいたとは書きたくはない。ただ休んでいたのは事実である。

この間、いろいろ考えた。まず犬猫についてである。

彼らに病気はあるのだろうか、ということである。何を馬鹿なと思う勿れ。わたしは本気でこれを考えた。馬鹿な考え休むに然り。とも言う勿れ。わたしは休み休み考えたのである。

結論を言うなら、彼らに病気はない。なぜなら、彼らは病名を知らないからである。彼らに認識できるのは、己の身体の、あるいは精神の好不調であって、己が今何を病んでいるかではない。

だから、今一頭の老犬が癌で死にそうになっていたとしても、もちろん彼にはそれが肝臓の腫瘍によるものであることなど知るべくもない。

彼にとっては老衰も癌も何ら変わるところはないのである。

ところが、人間様はまさに病気のデパートではないか。近ごろではそれに新たな一つが加わった。

人間はこれから先も何百、何千もの病気と対峙していかなければならない。

ところが、他の生き物たちには病気など一つとして存在しないのである。

ちょうど原始時代の人間に病気など一つとして存在しなかったように、犬や猫、鹿や熊や狼にも病気など存在しなかった。彼らにあったのは生老病死ではなく、生きて老いて死ぬか、生きて老せずに死ぬかのどちらかだけだった。

その老いにしても、彼らがそれを認識することなどあっただろうか。

だから、もっと端的に言うなら、彼らにあるのは生と死の二語だけであり、死はそもそも無であるから、自ずと生の一語のみが残ることになる。

今を生きろ Carpe diem

彼らはこの言葉通りに生きているのである。