因幡の白うさぎ

2011/05/23 22:17


むかし、むかしあったげな。
因幡の国気多ちゅう処に一匹の白兎が住んどったげな。
ある時、天が破れたぐらいの、ようけい大水が流れてな、
壱岐島まで流されて困ちょたげなわい。
そこに、わにざめと出会ったげな。
白兎は、わにざめをだまくらかして向こう岸に行ったるわいと思うて
「おまいさまの連れとどっちがようけかくらべよいな」っと言ってな。
向こう岸まで並べて「一匹・二匹・・・」って数えながら渡っただいや。
そん時に、白兎がつい「渡りに舟とはこんことだいや」って言うたけ、
わにざめはだまかされたってわかって、ようけ怒ってなあ。
白兎を丸裸にしちゃっただってや。
丸裸の白兎が砂浜で泣いとったらなあ、
大きな袋を肩にかけなった大国主命が通んなって、
「きれいな水で身を洗って樺の穂をつけたら治る」と言いなったけ。
その通りにしたらどんどん元の白毛の兎になったっちゅうことだけ。
白兎はようけ喜んでなあ、お礼にきれいな八上姫んとこに
大国主命をお連れしたっちゅうことだいや。
そのむかし、こんぽち。

山陰銘菓 因幡の白うさぎに付いていた栞より。

なんこう

2011/05/21 11:25


昔、俳優の故名古屋章さんがムヒのコマーシャルをやっていたのを良く憶えている。たしか白衣姿の薬剤師に扮した名古屋さんが店にやってきた婦人とこういうやり取りをするCMだった。
婦人:「あのー。ムヒが欲しいんですけど・・・」
名古屋:「なんこう・・・ですか?」
婦人:「いえ、一個でいいんですけど」
名古屋:「・・・? いえ軟膏ですね」
婦人:微笑んで「はい。そうです」
実に下らないシャレのCMだったが、今でも憶えているところをみると、やはり相当強烈なインパクトを持っていたのだろう。

ところで、普通?なんこうといえば、大楠公、楠正成のことである。しかし、最近の若者にこれを言ってもおそらく通じない。ナンコウ?クスノキマサシゲ? 何それ?てな具合になってしまうことであろう。

七生を誓いて散らん桜花

上は、菊水作戦に参加し散華したある特攻隊員の辞世の句である。七生も菊水も楠公と縁の深い言葉だ。七生とは、楠公湊川の戦いに臨んで「七度死しても人として生まれ変わり朝敵を討たん」と詠んだことによる。
皇国日本を守るためには命など惜しくはない、との決意を込めた言葉である。
菊水作戦の菊水とは、楠家の家紋による。これにも謂れがあって、その忠孝を認められて正成は朝廷より菊の御紋を戴くことになった。しかし、それでは余りに畏れ多いと、菊水としたのである。

さて、楠公はしばらく世間から忘れ去られていた。これを復活させたのは、実は水戸のご老公こと徳川光圀である。水戸の黄門さまは、嗚呼忠臣楠子之墓を湊川に建立し、その盛徳を顕彰している。

嗚呼忠臣楠子墓攝州之西湊川濱建之者誰水府公對之泣者有幾人討賊之詔不可負獻策無聽何敢恨兵庫西望塵漲天來犯賊軍五十萬纔將手兵七百當血戦意中死是願

七生人間殺國賊一語丹誠足靖獻湊川之水有長咽武庫之山見獨尊偏悲正気寂然絶唯憶忠魂凛呼存勤皇報国渾如忘世道之非向誰訴雖欲不泣奈涙霑嗚呼忠臣楠子墓

                                  生田鐵石

ところで、水戸学は徳川光圀大日本史の編纂をしたのが始まりと言われる。日本古来の伝統を重んじる学問であり、この影響を受けた幕末の志士らによって明治という時代が生まれた。吉田松陰然り西郷隆盛然りである。そしてまた、明治はこのような志士たちによって日本の國體が完成し、日本人が初めて国家意識をもった時代であったのである。

余談ながら、明治大帝は大楠公の佩刀と伝承される小竜景光をサーベル形式の軍刀拵に納めて携えておられたという。

さて、この25日は楠正成、正季の兄弟が湊川で自刃した日である。遠き日の大楠公の決意に思いを馳せてみるのもまた、新たな朝敵を迎え撃つに必要なことのように思われる。

無法松の苦笑

2011/05/20 19:31


先日、無法松の一生を見て感動したと書いた。
これに対し、Mさんより思わずわが目の鱗が落ちるほどのコメントを戴いた。これは本当に面白い視点である。

おそらく、今の女子高生あたりから見ると、松五郎のような男はストーカーのごとく映るのであろう。もちろん、未亡人の良子は、松五郎の長年にわたる親切に恩義を感じこそすれ、少しも迷惑などとは思っていない。ただ、今どきの少しばかり口の達者な女子高生などに言わせれば、その精神性はストーカーと少しも変わらない、ということになるのかも知れない。

ちょっとこの男、すっげーネクラじゃね! ちゃんとコクればいいじゃんねぇ。ダッセー。ウチこういうタイプぜんぜんアカンワ。

わたしには、彼女たちのこういった声が聞こえてきそうな気がする。

仮に、こういうコギャルたちにこの映画をムリヤリ見させたとする。彼女たちがわざわざ金を払ってまで見るわけがないから、逆に金を渡して見せたとしよう。そうすると、館内はまるでコメディーを見ているかのような下劣な笑いで溢れかえるのではないか、とわたしは想像し畏縮してしまうのである。たかがコギャルごときにと哂う勿れ。彼女たちのものの感じ方は決して侮れない。

わたしが松五郎の純な心に胸を打たれ感涙に咽ぶ。その一方で、コギャルたちは「ダッセー」などと指差しながら声を上げて笑う。なんという世代の隔絶。

しかし、それも良い。良しとしよう。時代は移り変わっていくものなのだ。コギャルたちも時代と共に変わってきた。彼女たちはいつも、その感性という点では常に時代の最先端を担ってきた。いや、時代こそが彼女たちの感性とシンクロするかのように移ろってきたのだ。

感性豊かな彼女たちに松五郎の心が分からないわけはない。分かってはいても、やはりそれはダサいのである。
ダサいに対する言葉はヤバイだが、今、彼女たちにひたすら求めるものがあるとすれば、それはヤバさであろう。その感覚は、おじさんにはなかなか理解できるものではないが、危険なほどの何か、ということは分かる。美しさかも知れないし、冷淡さかも知れない。知性かも知れないし、金儲けの能力かも知れない。しかしそれは、松五郎のような善良さや誠実さ、それに地を這うような努力では決してないことは確かだ。

ヤバイ。ヤバカッコイイ。しかしそれは、世の中が本当に危険であった時代には彼女たちが決して求めなかったものではなかろうか、とおじさんは思うのである。

無法松の一生

2011/05/15 23:55


BS無法松の一生 ミマシタ ナキマシタ。まさに古き良き日本。この時代にはまだこんな純な男がいたのだ。

男命の純情は燃えて輝く金のほーし。

三船敏郎が良かった。高峰秀子も良かった。この映画は、ベネチア国際映画祭で金獅子賞を受けている。
しかし、こんな日本人の繊細な気持ちがヨーロッパの人に理解できたのだろうか、と正直なところ疑問に思ってしまう。

飲み屋でふと見たポスターに思慕する高峰演ずる未亡人の姿が重なって見える。老いた松五郎は、縁談をすすめる出世して二人目の子供が腹の中だと言う旧知の男に、俺は嫁の代わりにあのポスターをもらう、と言うのだ。泣かせてくれる。
これこそ、真の忍ぶ恋。恋の中でも最も上等な恋。

松五郎が死んで遺品を検めていると、行李の中に未亡人とその息子のために貯金まであった。また、車引きをやって未亡人からもらった謝礼の包みなどは一切封も切らず、そのまま行李の底にしまっていた。
松五郎のこの純情に心を打たれぬ者はいないだろう。
やはり、人間にとって最も大切なものはこのような心であると思ったしだいである。

○と△と□

2011/05/15 17:47


わたしは、常々世の中は○と△と□だと思っている。これは、相撲の心技体と同じでホーリートリニティである。
○は言うまでもなく和であり、また縁であり、円でもある。
△は、これも言うまでもなくバランス感覚である。
○と△と二つ揃っていれば、そうそう人生を誤ることはないであろう。
しかし、ここにもう一つ□が加われば言うことはない。
□とは、資格である。決して刺客ではない。

しかし、世の中、資格が一杯あれば飯が食えるというものでもないらしく、日本の社会で唯一、いや唯二つだけ飯の食える資格があるとすれば、それは弁護士と医師の免許だと言う。

その証拠のような面白いジョークがある。この間、何かの雑誌を読んでいて見つけた。ちょっと脚色があるが、

大工さんに向かって
一級建築士を取得されたそうですね」
「ええ。でも、あれは足の裏に付いたご飯粒のようなものですよ」
「へぇー。いったい、それはまたどういう意味なんですか」
「それはね。ぁだ@ddかl;d:dfpfきhw:@だからですよ」

わざわざ答を避けたのにはわけがある。わたしは意地悪なのである。ぜひ答を推理していただきたい(末尾にしおらしく答の台詞を載っけておきます)。

おまけ

・油を売って金儲けている商売といえば:ガソリンスタンド

・人の歯で飯を食っているのは:歯医者さん


こたえ

・仮に取ったとしても食うに食えないが、取らなきゃ気持ちが悪い。

薄暗き電車の窓に緑映ゆ

2011/05/15 14:16


節電のお陰で、最近は電車に乗っていても寛いだ気分になれる。今までの車内が明るすぎたのだ。
薄暗いと良いのは、他人の視線を気にしなくて済むことだ。それに、副交感神経とやらが優勢になって全身の筋肉が気持ちよく緩むのだろう。ついついうとうとしてしまう。

今日わけあって、一人電車の2両目のボックス席に座っていた。薄暗いせいで、運転手席の方まで見通せる。両側の窓ガラスも、そしてクロームメッキされた手摺のパイプにも緑が映りこんで、本当に気分が良かった。

これからも電車はこのままの方が良い。天気の悪い日はともかく、今日のような快晴の日に蛍光灯など点ける必要はまったくない。
それに、できれば車内放送も控えめにしてもらいたい。だいたい、あれは電車の乗り過ごしを防ぐために、乗客を眠らせないためにやっているとしか思えない。

It may be necessary for the train to stop suddenly to prevent an accident. So please be careful. そんなことより、寝かせてくれ。

"There are priority seats reserved for eldely and handicapped passengers, expecting mothers and passengers accompanying small children."
分かってんだよ。そんなこたぁ。

空調も、今までは夏寒くて冬暑いというやり方だった。夏炉冬扇という言葉があるが、今までの鉄道はこの言葉がおかしく思えないという状態だった。
震災は大変な不幸だったが、禍福は糾える縄の如し、まったく良いことがなかったわけでもない。日本が正常に戻る機会になれば良いと思う。

Thank you for traveling with me. And I look forward to serving you again.

 

紐育 紐育

2011/05/14 13:02


紐育と書いてニューヨークと読むらしい。ちなみに聖林はハリウッドである。ハリウッドはhollywoodで、本当は西洋柊のことなのだが、誰かがholyと間違ったためにこうなったらしい。
 
最近、わたしは靴紐を引きずって歩いている若者の姿を見かけるたびに、なんたるちゃー、という思いを強くする。混雑する駅中をスニーカーの紐を引きずって歩いていて、誰かにそれを踏まれて転倒せぬかと心配になる。
なぜ、これほどに靴紐も結べぬ若者が増えているのか? わたしは紐の結び方についての教育、すなわち紐育がきちんと行われていないせいだと思うのである。

靴紐が解ける一番の原因は、本結び(横結び)にすべきを縦結びに結んでいるからである。つまり、結び始める最初で、たとえば右手に持った紐の端を上にして結んだなら、次に左手にある紐の端を上にしなければならない。最初も次も同じように結ぶから解けやすくなるのである。
参考までに、わたしはスニーカーの紐を結ぶときは、上の工程を各2度ずつ行っている。つまり、最初右手に持った紐の端を2回くるくると回して1ステップとする。次に左手に持った紐の端を同じくくるくると回して完了である。あとは2ステップ目に蝶結び(引き解け)になるよう工夫するだけである。これは外科医結び(surgeon knot)の応用である。

上の本結びは基本の結び方で、たとえばコンビニの袋の舌(手提げと手提げの間にある)と舌を結ぶ場合に本結びに結んでおけば、解くときに一瞬にして解く方法がある。これを縦結びに結ぶと、簡単には解けない。これは是非ネットで探して実践していただきたい。

また、ぜひ覚えておきたい結び方に舫結び(bow line knot)というのがある。これは、いろいろと応用が利いて、たとえば、海で溺れて救難ヘリから一本のロープが投げ落とされたとする。これを掴んで、自分の腰の周りに結ぶ。これが素早くできれば、みすみす落とさすとも済む命を救うことができる。

さらに次のような結び方(本当は結びknotではなくhitchである)もある。これは、たとえば、庭に杭を打って、紐で柵を巡らす場合などに便利である。長い紐の途中を筆記体でLの小文字を書くようにして輪っかを一つ作る。次にその輪っかの右にもう一つ、同じようにLの小文字を描いて輪っかを作る。そして最初に作った輪っかの下に滑り込ませるようにして二番目の輪っかを重ねる。こうして二重になった輪っかを杭に通して軽く縛る。後は同じ事を繰り返していくだけである。こうすると、簡単な上に頑丈な柵が出来上がる。

最後に、ゴルディアスの結び目という有名な話がある。誰にも解くことの出来なかった複雑な結び目を、アレクサンドロス3世が剣で断ち切ったという話で、日本流に言うなら快刀乱麻を断つ、ということであろう。難問を解く知恵、果断な意志。この二つが揃っていれば、人は何事も成し遂げられるであろう。