開戦前夜のあれこれ2

2010/12/20 15:04


昨夜は日ソ中立条約締結について書いた。松岡洋右外相とスターリンとの間で条約が結ばれたのである。しかし、これはドイツからしてみれば非常におかしなことである。なぜなら、日独同盟とは、そもそも防共協定が深化した条約であり、ソビエトを牽制する意図が明らかなものであったからである。したがって、ベルリンで日独同盟に調印しておきながら、今度はモスクワに行って日ソ中立条約を締結するなどとは不思議に思われたに違いない。
ところで、新名氏はスターリンについて、非常に興味深いことを書かれている。しかし、その前に、昨日も書いたことだが、日独伊三国同盟は、半ば陸軍のごり押しにより成立させられたようなものであるが、これが勅許を得たのは、ゆくゆくはソビエトをこの同盟に参加させるという日本側からの提案にドイツが同意したからであった。天皇陛下ソビエトとの友好的関係を維持させたいという思し召しに沿ったものであったはずだったからである。ところが、ドイツには最初からそのような心算はなかった。それは昨日書いたとおりである。日本は結果としてドイツに騙されたことになる。

さて、話は昭和15年の晩秋になる。近衛首相の憂慮は深かった。天皇陛下の思し召しとは逆に、ドイツとロシアの間に暗雲が漂っていたのである。近衛は、ロシアとの関係を修復するために密使を送ることを決めた。
その密使に選ばれたのが元京大助教授の小西増太郎氏である。近衛と小西氏との間には子弟関係があった。京大時代に近衛は小西氏宅をよく訪れたという。もともと東大哲学部に入ったのだが、井上哲次郎博士の講義など聞いても面白くないということで、京大に転じたのである。
その小西氏はロシアの文豪トルストイと親しかったという人物である。ロシアで勉学中に知り合い、交換授業をするまでの仲になったという。トルストイキリスト教と聖書を教え、小西氏が老子孟子孔子を教えた。そのような仲であったから、小西氏がロシアを去るときには、トルストイは、愛用の聖書(世界に二冊しかない稀覯本で、アンダーラインや書き込みがたくさんあったという)にサインをして贈った。
この聖書については、戦後ソ連から「博物館に展示したいので是非譲っていただきたい」という話があったという。しかし、結局この本は悲劇的な結末を辿った。小西氏の墓(そこには、「トルストイの聖書を抱いてここに眠ると刻まれた)に一度は収められたが、次男の手により取り出され大事に保管されていたのだが、結局は火災により消失してしまったのである。

さて、随分と回り道をしてしまった。スターリンについてであった。
小西氏がロシアで勉学に励んでいた頃、彼の下宿の隣に前途有為な青年が住んでいた。その青年は小西氏に東洋思想について聴きたがった。そのようなことから小西氏とこの青年は非常に仲良くなった。
昨日、松岡外相がベルリンに行き、その帰途にモスクワに寄って日ソ中立条約を締結した話をした。そのときに、スターリンから「小西教授をご存知か? 是非お会いしたい」と言われたのだという。
なんと、小西が下宿で親しくなった青年とはスターリンだったのである。
まことに人の縁とは異なものである。また、本当に味わいの深いものである。