拭えぬ違和感

2010/01/15 13:34

保守系マスコミの主張にときどき違和感を覚えることがある。

産経や新潮などの記事は、わたしたちには比較的受け入れやすいものである。正論と言っても良いと思う。鳩山民主政権の危うさを指摘し、日米関係の破綻に警鐘を鳴らしている。

たとえば、昨日発売の新潮に掲載された櫻井よしこ氏の「日本ルネッサンス」には、次のように書かれている。日米安保50周年についてのコラムである。

氏は、はじめに50年前の当条約の改定調印、そして発効に至るまでに岸信介首相が命の危険を感じるほどの苛烈な抗議運動に遭いながらも周到な準備を重ねていたことを書かれている。

岸首相は米国との対等な安保関係を求める限りは、自国の戦力を強める意思を示し、米国の眼前で実行する必要があることを知悉していた。これに対し、同じ日米の対等な関係を主張してはいても、鳩山首相のものにはまったく内容がないと批判している。対等な同盟国に必要なのは、自助及び相互援助の力を有していることである。その力とはずばり軍事力のことである。しかし、民主党の象徴的リーダーである鳩山首相も実質的なリーダーとしての小沢一郎幹事長も、その点の認識を欠いている。両氏とも自らの意識と現実との距離を認識できないのである。と、このように書いている。もっともなことだと思う反面、わたしはどこか違和感を覚えるのである。

わたしは櫻井よしこ氏が好きで、新潮を買えば高山正之氏の「変見自在」の次に読むと順番が決まっている。だから、氏に違和感をもっているわけでは勿論ない。記事の内容に大きな不満があるわけでもない。

しかし、櫻井氏に限らず保守系と言われる方々の主張の多くが、現政権のやっていることを、例えば普天間基地の移設問題にしても外国人参政権付与の問題にしても何か首相や党の不見識によるもののごとく書かれている、ここにしっくりしないものを感じるのである。

わたしが思うに、彼らは確信犯なのである。彼らは、彼らの腹の底深くに秘めた目的に向ってもっとも正しい方法を実行しつつあるのだとわたしは考えている。

民主党は、元を糺せば旧社会党の残党が多くを占める社会主義色の強い党である。彼らはカムフラージュによってその党色を消してしまっているが、その究極の目的はこれまでの日本を解体し社会主義国家に変えてしまうことにある。その目的に向って、彼らは着々と橋頭堡を築きつつあるのだ。

社会主義というのは、過去に全く立脚しない政治体制である。言い換えれば、この国の古き良き伝統や文化などを紙屑にしてしまう体制である。また、どれほど悪逆非道な過去があろうとも、体制の転換とともに恰も禊が済んだかのように誰もが過去を持たない一市民として暮らせる、そこには日本人も元外国人もないある種の人たちには理想的な社会である。

この目的達成のためには、彼らにとって日米安保条約は邪魔でしかない。だから、米国との関係を悪化させ、国内の米軍基地を彼らが自主的に撤退するよう仕向けているのである。
では、米軍なしに日本の防衛をどうしようというのか。そう考えるのが、そもそもの間違いであるとわたしは捉えている。

彼らは、中国と同盟を結ぶかこの国を中国の一部にしてしまうことを視野に入れている。
勿論、長期的な話である。その間に中国も変るし世界情勢も変化していくだろうから、そうものごとが思惑通りに進むはずがない。しかし、意思の力は国の体制を確実に変えると考えた方が良い。意思のあるものは、必ず意思の薄いものを打ち破る。今の野党自民党との力関係がまさにそれである。

だから、彼らが防衛も外交も知らぬ方向音痴で初心者マークの付いたドライバーと考えるのは大間違いである。彼らは確信に基づいて、一見危なっかしい運転を繰り返し行い、国民を方向音痴にした上でどこか彼らの考える理想郷(多くの国民にとっては地獄となるであろう所)へと連れて行こうしているのである。

しかるに、そのことを知ってか知らずか、彼らの政治手法がいかにも不見識、あるいは間違った情報に基づく単なるミスであるかのような捕らえ方が保守系といわれるメディアにも多く見受けられることに思わず首を傾げてしまうのである。

わたしはこのことに強く警鐘を鳴らしたい。彼らは確信に基づいてこの国を解体しようとしている。かれらはこの国の敵である。これを定見としない限り、保守は団結できない。繰り返し言う。民主党政権は日本の内なる敵である