鎮男22

2012/06/03 22:14


帰り道、車の中で鎮男が独りつぶやくように言った。
「これはちょっと、わいが見立てた筋書きと違うてきたようやな」
私は、彼の隣に座っていた。
「どんな具合に違ごうてきたんや」
「分かるやろ。今回の件には、あのおっさんが絡んどる。間違いない」
「どんな風にからんどるんや。あんまり、めったなことは言わんほうがええで。なにしろ、相手は大企業のトップなんやからな」
「こうちゃん。最初の一連の事件と、各国の軍隊内に起きた反乱はまったく別もんや。最初の事件は、良也が起こしたもんや。おそらく、自分にとって都合の悪い人間を抹殺するためにな。そして、その後の軍隊の反乱は、明彦が良也の企みを回避させるために企てたものやとしたら辻褄が合う。いづれにしても、ことは人類の存亡に関わる問題や。手を拱いとるわけにはいかんで」
「何をするつもりや」
MRIや。あの会社のMRIを徹底的に調べ上げる」
「そんなことを言うたって、どうやってMRIを手に入れるんや」
「手に入れるわけやない。MRIの被験者になるんや」
「なんやって?」
「被験者になって何が起こるのかを確かめる」
「そんなことをして、洗脳されても知らんで」
「心配せんでもええ。わいには考えがある」
「ほんとに大丈夫なんやろうな」

私たちは、その足でR研究所に向かった。そこは、鎮男のスーパーコンピュータがリンクしている唯一の施設だった。
3階建ての建物は随分と古く、あちこち傷みが目に付いた。モルタルを塗り固めた外壁は、老人の皺のようにクラックが無数に走り、青黒い苔や黴が老人班のように覆っていた。
「ここには、わいもようけ寄付をさせてもろうとるから、大概のことは聞いてくれるやろう」
鎮男は、ここの理事長と懇意のようで、私に公衆電話で連絡を取らせたのである。

理事長は愛想よく二つ返事で面会に応じてくれた。
「確かに、ここにもラプラス社のMRIはおまっせ。しかも最新式のや。なんせ、あそこのこの手の製品には、他社の追随を許さんもんがありまっさかいな」
理事長は、関西弁丸出しでしゃべる気さくな人だった。きれいに日焼けした頭にわずかばかり残る髪は真っ白で、それが霜柱のように立っていた。
「そやけど、いったい何を調べにならはるんですか。なんぞ、あの装置に欠陥でもありますんかいな」分厚い眼鏡の奥から小さな目が怪訝そうに鎮男を見つめている。
「いやいや、そういうことではありません」私は、鎮男に代わって答えた。「ただ、この人が新たな発明をするのにどうしても必要らしいんです」
「ほう。なるほど、そういうことでっか。そんなら、きっとまた世の中をあっと言わすような、ええもんができますな。そういうことやったら、こちらとしても喜んでお貸しいたします。どうぞ、どうぞ、存分に御研究なさってください。担当の者には、私からあんじょう言うときますから」

私たちは理事長に礼を述べ、早速MRI室に入らせてもらった。
入る前、私は時計を外し、そして両手を合わせた。なぜなら、そこが仏殿のような気がしたからである。もちろん、仏はMRIであり、それを納めた仏殿であるMRI室の扉には、一切の金属製品を身から取り外すよう注意した大きな黄色いステッカーがお札のように貼られていた。
「鎮男ちゃん。良かったなぁ。これ貸し切りやで」
私は、その分厚いステンレス製の扉を開けて中に入ると、何か目新しいものを見た時の浮かれた気分になって言った。
ラプラス社製、∇―20XXや。ほんまにこれ最新式や。この研究所は、外見に似合わずこんな高価なものを入れとったんや」鎮男は、装置のドーナッツ型リングを撫でながら感心したように言った。
「なんぼくらいするもんやろ」
「さあな。億に億を重ねんとあかんやろうな」
「とにかく、これで念願のMRIは手に入ったわけやけど、これからどないするつもりや。誰が、この輪っかの中に入るんや。――まさか、ぼくに入れ言うんやないやろうな」
「もちろん、わいが入る」鎮男はそう言って、スーツの内ポケットから折りたたんだ紙を取り出した。「こうちゃんは、これからこの紙に書いたとおりの操作をしてくれたらええんや」
鎮男は、いつもながら抜かりがなかった。常に先のことを読んで行動していた。それもまるで神がかりのような用意周到さで。

「ええか」
私は、鎮男が頭にヘッドギヤのようなものをセットしてMRIの上に横になったのを確認するとスイッチに手をかけた。
「いつでもええで」
天井のスピーカーから鎮男の何の抑揚もない声が流れた。
私は、スイッチを押した。何事が起こるのかと、私は、操作室の窓からずっと様子を見ていたが、鎮男には何の変化も起きなかった。30分ほど経過して鎮男の頭部のスキャンが終わった。

「30分間、ずっと立て続けに頭をハンマーで殴られとるようやったわ」両手で頭を押さえ、ちょっとふらつくようにして寝台から降りながら鎮男が言った。
「ほんまか」
「嘘に決まっとるやろ」
「そうやろうな。そやけど、なんか分かったか」
「ああ。大変なことが分かったで。実は、明彦君は、死んではおらんかった。ちゃんと生きとったんや」
「なんやって」私は、鎮男の顔をまじまじと見た。これまで、「明彦」と呼びつけだった鎮男が彼のことを君付けすることも気になった。しかし彼は、そのまじめな表情を少しも崩さない。「また鎮男ちゃんらしゅうもない。そんな他愛もない嘘を言うて、わいをからかうつもりか?」
「いや嘘やない。これは、だいたい予想しとったことやけど、明彦君はやっぱり生きとったんや」
「それは、いったいどういうことや。そしたら、今日会うたあのおっさんは、義理のとはいえ、自分の息子が生きとることを知らん言うんか」私は少し興奮していた。
「まあ、わいの言うとる意味がほんとに知りたかったら、この機械の中に頭を突っ込んでみることやな。そうでもせんかったら、とても信じてはもらえんやろ」

そのときからだった。私の信じる、慣れ親しんだこの世の中の、この宇宙というものの様相がすっかり変ってしまったのは。

私は、鎮男の言うとおりにMRIに入った。まな板の上の鯉になった気分で寝台に仰向けになり、カーン、カーンという潜水艦を叩くソナーのような物寂しい音を聞きながら、強力な電磁石に自分の脳味噌のでき具合を調べさせていた。
しかし、それは最初のほんの数分間だけで、突如として私は幽体離脱を体験したのだ。もちろん、それまでにそんな経験をしたことなどなかったから、果たしてそれが本当の幽体離脱というものなのかどうかは分からない。ひょっとしたら、私は単に夢を見ていただけなのかも知れない。
しかし仮に夢だとしても、それは余りにリアルで、私の五感のすべてが頑なに理性という計器の指示を否定した。
私は、幽体離脱をし、鎮男が言ったように明彦に会ったのである。そのとき、明彦は、なんとMRIのすぐそばに立って、微笑みながら私を見ていた。非常な長身で、痩せていて、色白の、絹糸のように細い長髪を淡いピンクに染めた、弦の部分が髪と同じピンク色の眼鏡をかけた少年が、にっこり笑いながら、私の手を取ってMRIから立たせてくれたのだ。私は、今でもそのときの柔らかで温かな手の感触を左手に感じることができる。
「君が明彦君ですか」私は、ひどく驚きながらも、自分の声帯が乾いた声でそう言うのを確かにこの耳で聞いた。
「はい。武藤明彦です。大友さんでいらっしゃいますね。つい先ほどは、平さんにもお会いして、多くのことを語り合いました。大変素晴らしい方だと感銘を受けました」
「ありがとうございます。おっしゃる通り、鎮男は、私が心底から誇りにできる数少ない友人です」私は、立ち上がって、明彦と相対しながら、自分が17歳の少年に敬語を使うのに内心苦笑していた。
「平さんにも言いましたが、あなたがたは、かなり核心部分に近付いてはこられたようです。しかし、まだまだ真実とは程遠い所におられる」明彦は、笑いながらそう言った。
「その真実を、今ここで話してもらうわけにはいかないでしょうか。なぜ、人類せん滅などという愚かなことを考えるようになったかについて」
「愚か? ですか。それは、見解の……、視点の違いとしか言いようがありませんね。ぼくは、こんなにも不条理でこんなにも愚かな人間という生き物は、もうそろそろ滅ばなければならないと思っています。しかし、まだ本当に手を下してしまうには少し迷いもある。なぜなら、あなたがた二人がここまでやって来たから……。いや、やって来てくれたから、と言っておきましょう」明彦は、MRIのドーナッツ型のリング部分に片手をつき、しなやかな身体を斜めにしていた。真っ白な、膝までも丈のあるカラー付きのシルクのような光沢を持つ上着に、やはり同じ生地で作られた白いスラックス、そして素足に白いサンダルを履いていた。
「ところで、私の友人は……、平鎮男は、君に訊ねなかったでしょうか。君が自殺した理由について」
「いいえ。確かにぼくは自殺をした。しかし、今こうしてあなたとお話をしている。平さんは、たぶんこれがどういうことかをお考えになられたのではないでしょうか。そして、そのお考えになられた通り、これこそが、ぼくの目的であり、手段でもあったのです」
「自殺が目的でもあり、手段でもあった? と言われるのですか」
「ええ。その通りです」