鎮男10

2012/06/03 14:23

潜 伏

私は、鎮男から密命を受けていた。もともと、私の大友飛行船は、その事業収入の30%を広告から得ていた。一般企業から官庁、さらには個人のバースデーやクリスマスのメッセージなど、その商売は広範囲に及んでいた。
たとえば、ある日の深夜零時ちょうど、レインボーブリッジ上空に突如として極彩色のイルミネーションに包まれた謎の物体が現れ、孔雀の羽根のような青いきらきらする文字で恋する男からのプロポーズのメッセージを発信する。
「尚美。ぼくは全力できみを守る」
この費用は、3分間で10万円である。
あるいは、
「清様、わたしは永遠にあなたのものよ」
これも3分、10万円。
こうして1時間、レインボーブリッジ上で200万円稼いだわが飛行船は、翌朝02時11分、東京タワー上空をオレンジ色の光を点滅させ、地震事前警報を通告しながら旋回する。これも相当の収入になる。

鎮男が私に頼んだのは、飛行船を使ってウィルスの脅威についての警告文を流して欲しいということだった。最初、私はその意味が掴みかねた。しかし、聞いているうちに、ようやく彼の恐れていることが分かってきた。
それは、明彦がコンピュータウィルスを全世界にばら撒いたのではないかという危惧からきていた。それも単純な悪戯などではない、本当のウィルスそっくりの生命力と毒性を持つウィルスであり、ワクチンやファイヤーウォールや免疫などに対抗して、自身で進化していくという恐るべきものだった。

「おそらく、このウィルスはすでに潜伏期に入っとる」
私は、あのときワインを飲みながら言った鎮男の言葉を思い起こした。
「今は、静かに世界中のあらゆる電子機器の中で増殖しとるはずや。しかし、まだ、その毒性を顕すまでにはいっとらん。たぶん、それも明彦の計画のうちなんやろう。一気にアウトブレークさせるつもりや」
「それで、そのウィルスは、いったい何をやろうとしとるん?」
「ウィルスは、おそらく多種多様にわたっとるやろう。そやから、その戦術的目的も様々や。そやけど、その究極の目的は、人類を滅亡させることや。逆に言うたら、人類を滅ぼすためにはありとあらゆることをやってくるやろう。それは、ちょっと予想不能や。しかし、コンピューターネットワークを使ってこのウィルスの危険を知らせて対抗しようとするのは危険なばかりか返って火に油を注ぐことになってしまうやろうな。明彦は、その辺のことはきっちり計算しとるはずやからな」

鎮男は、わが社の飛行船を使って、徐々にこのウィルスの危険性を世間に知らせていこうと考えたのだ。しかし、彼も予想していたように、それとても大きなリスクを孕んでいた。なぜなら、この高度に情報化された社会で、秘密裏にこのような作戦を遂行することなどまず不可能だからだ。我々の企てが電子化されて、彼の作り上げた精妙な蜘蛛の巣に引っ掛かったら、明彦の作り上げたシステムは、直ちに全力を挙げてその排除に取り掛かるであろう。それは、私たち二人の死を意味した。
しかし、我々としては、少しでも早くこの世界の危機を世間に知らせる必要があった。目に見えぬ敵に対し、彼らが勘付くよりも早く世界中のあらゆる方面のリーダーたちにこの危機を知らせる必要があったのだ。