鎮男38

2012/06/08 22:35


講堂には、化け物の姿も明彦の姿も見えなかった。薄暗く陰気に静まり返っていた。
鎮男は、舞台の上に飛び上がった。スキャナーの中に赤い衣装を着た良也がいた。
鎮男を見て、良也が「ムムッ」と小さく唸った。しかし、全身を拘束されていて身動きができない。
「おまえもとうとう年貢の納め時のようだな」鎮男が静かに告げた。
しかし、良也は、それを鼻で笑ってみせた。
「この俺も随分と甘く見られたもんだ」
「強がりはよせ」私は思わず良也に怒鳴った。
「ふん」良也は、私の顔も見ずにもう一度侮蔑の声を漏らした。「ところで、俺をどうするつもりだ。お優しいおまえさんたちのことだ。まさか、身動きのできない俺を殺すわけではないだろうな」

鎮男は、私の肩を軽く押して良也から数メートル離れさせると「電話や」と小声で言った。
「電話?」私は意味が分からずに問い返した。「止めを刺すんやなかったんか」
「ええから、防衛大臣や」鎮男が短く答える。
「分かった」と答えたものの、私の携帯は、彼らに捕まったときに奪われて今はどこにあるかさえ分からなかった。

「構内電話を使うんや。構内電話やったら、UPSから電源を貰うとるはずやから、30分くらいは使えるやろう」

「分かった」私は、答えて電話を探しに行こうとした。
「電話やったら、すぐそこにあるで」スキャナーの中から良也が薄笑いを含んだ声で叫んだ。
見ると、舞台の端にコントロールルームがあり、そこで音響や照明のコントロールを行うようになっていた。

私は、何かすっきりしないものを感じながらもその部屋に入った。
操作卓の上に置かれた電話を取り、番号案内で防衛省の番号を聞く。そして、教えられた番号をプッシュした。果たして、こんな深夜に通じるだろうかと思ったが、すぐに通じた。
私は名前を言って、石田防衛大臣に至急話したいことが出来たと告げた。事情を細かく聞くでもなく、その係官は、すぐに大臣とつなげると言った。
その言の通り、大臣は1分ほど間を置いただけで電話に出た。
「今、どこにおられるのですか」大臣が先に聞いてきた。
私は、場所を告げた。
「すぐにヘリを向わせます。それで、武藤氏はどのような状態ですか」
私は、ありのままを伝えた。
「分かりました」大臣はそう答えた。それから少し間があった。「――おそらく、ヘリは30分でそこに到着すると思われます。その間、あなた方は静かに待っていてください」
「分かりました」私は答えた。
私が鎮男のもとに帰ってきたとき、鎮男は良也と何事かを話しているようだったが、私の姿を認めると不自然にそれを止めた、ように私には思えた。そして、良也の浅黒い顔がオリーブグリーンに青ざめて見えたことが印象に残っている。

そして、ちょうど30分になろうかとするころ、静寂の中に微かな靴音が聞こえてきた。風前の灯火のような非常照明の下、迷彩服に暗視ゴーグルを装着し、腕に軽機関銃を構えた自衛隊員が講堂の四方の扉から次々と中に入ってきた。総勢15名ほどだろうか。私は、その物々しさに度肝を抜かれた。

そして、さらに驚いたことには、彼らは私に手錠をはめて拘束したのだ。
「これは、いったいどういうことだ」私は、わけが分からず大声で怒鳴った。
「命令です」指揮官らしい自衛隊員はただそれだけ告げた。

私は、良也の方を見た。嫌な予感が当たっていた。良也は、拘束を解かれ、なんと隊員たちと談笑している。その良也が私の姿を見てにやっと笑った。
「いったい、これはどういうことだ」私は、鎮男に怒りをぶつけようとして、彼が消えてしまっているのに気がついた。と同時に非常照明がふっと消えて、漆黒の闇が訪れた。

「しず……」私は、急に無力感に襲われた。「……あの大臣までもが、良也の傀儡になってしまっていたのか」