精神とはなにか

2014/06/01 10:20

横井さん、みなさん、おはようございます。

心とか精神とか、あるいは魂とかいわれるものについて考えるときに、わたしたちは、肉体、あるいは物質と無関係にそれをイメージすることはできません。

たとえばオオカミやサルの気持ち(精神)を理解しようとするなら、わたしたちはオオカミやサルの人間的な部分、つまり彼らの人間との共通点を手掛かりにする以外ありません。つまりわたしたちは、オオカミはオオカミの、サルはサルの、その姿かたちに応じた精神を持つにもかかわらず、彼らを擬人化して理解しているのです。

神様についても同じことです。神というわたしたちとはまったく比較にならない高位の存在を思い描こうとしても、結局はわたしたち人間が持てるであろう最高の、究極の姿を思い描く以外にわたしたちは表現の手段を持ちません。

話は飛躍します。たとえば二進法の0101は物質ではありません。精神に属すると言ってもよいでしょう。同様に、DNAもまたTCAGで構成されるコードであります。

チミン、シトシン、アミン、グアニンは物質ではありますが、これは生物においては恰も二進法のコードのように使われています。

何が言いたいのか? わたしたちの肉体は、精神(DNA)によって造られ、精神(DNA)はまた逆に肉体によって創られる。肉体と精神は不可分の関係にあるわけです。どちらか一方が独立して存在することはあり得ません。

さて、コギト・エルゴスムについてですが、デカルトという人はわが存在というものを徹底して疑った。「わたし」は「わたし自身」の意志でものごとを考え、行動していると思っている。しかし、実はこれはまったくの錯覚で、本当は誰か別人の、いや全く別の存在の思うままに操られているパペットなのかもしれない、とさえ疑った。

このような懐疑心は、結局は神は存在するかどうか、あるいは神を信じるか否か、という問題と同様に極めて根源的なものであるように思います。

デカルトは、上の問いの結論としてコギト・エルゴスムに至りました。このように思う(自身の存在を疑う)自分は、それを疑っているという事実が故に存在しているといえるのである、と。

ロボットのAIであろうと、あるいはPCのプログラムであろうと、それが精神である、ということはすでに述べました。
ロボット、あるいはPCと人間の精神の違いは、オオカミとヒトのそれの違い以上に大きいかも知れませんが、両方とも精神であることは疑いようがありません。

そこで、そのロボットがデカルトと同じような思考の経緯を辿り、「コギト・エルゴスム」と唱えたとしたら、わたしたちはそれを笑うことができるだろうか、というのがわたしの提議でした。

というよりも、わたしが真に言いたかったことをご理解していただくためには、みなさま方には是非、ロボットと人間が二つ並んで「コギト・エルゴスム」と言っている有様を思い浮かべていただければと思います。
自然が創ったロボットである人間と、その人間が造ったロボットが
口裏を合わせたようにコギト・エルゴスムと呟く様は、わたしにとってはジョークそのものでありますが、また宇宙の入れ子細工を表しているようでもあり、大変面白く思われるのです。