今日の迷言:2月11日

2015/02/11 13:32


無料で見ることのできる映画で「ホーンブロアー」というのを見ている。これには海の勇者という副題がついている。
これは、帆船でイギリスとフランス、スペインが海の覇を争っていた時代の若きイギリス士官(見習い)の出世物語である。

これがとても面白い。とてもよくできたエンターテイメント作品なのだが、なにがこれほどわたしを惹きつけるか考えてみると、これは、一つには新渡戸稲造の「武士道」につながる精神が作品のいわば、船を中心にした話なのでこう言うが、竜骨になっているからなのだ。

今回、第三回目のタイトルは「侯爵夫人と悪魔」というもので、主人公ホーンブロワ―は敵の虜囚となってしまうのだが・・・という話である。
ある島で囚われの身となった彼は、冷静に脱出のチャンスを待つ。そしてついにその機会が訪れるが・・・。詳細は当然ながら割愛する。ただで見せてもらっている恩義?に反するからである。
いや、その恩義を感じ約束を決して破らないという信義をホーンブロワ―という若き士官候補生は、自らを犠牲にしても決して忘れない、という話なのである。

では、このような信義というものは、果たしてどのような場面で見られるものであろうか、と考えるとき、これはもう極限の、戦争のような状況以外にはあり得ない。

なぜなら、ごく普通の平和な生活の中では、たとえば腹が減って死にそうだったが、あいにく今日は財布を家に忘れてきてコンビニで弁当も買えない、というときに友人なり会社の同僚が千円貸してくれたので助かった、と言っても、それをとても恩義に感じる者はいないであろうし、それに報いるに彼の好きな煙草を一箱付けて千円返したとしても信義とは言わないであろう。

わたしたちが信義という言葉に美を感じるとき、それは映画が見せてくれるような究極の状態においてである。そのようなときにこそ、本当に美しい人間の真性が現れるはずだからである。

以下は、ジョン・ラスキンの言葉である。

戦争はあらゆる技術の基礎であると私の言う時、それは同時に人間のあらゆる高き徳と能力の基礎であることを意味しているのである。この発見は私にとって頗る奇異であり、かつ頗る怖ろしいのであるが、しかしそれがまったく否定し難き事実であることを私は知った。簡単に言えば、全ての偉大なる国民は、彼らの言の真理と思想の力を戦争において学んだこと、戦争において涵養せられ平和によって浪費せられたこと、戦争によって教えられ平和によって欺かれたこと、戦争によって訓練せられ平和によって裏切られたこと、要するに戦争の中に生まれ平和の中に死んだのであることを、私は見出したのである。

ホーンブロワ―はHorn blowerで、これは主人公ホレーショーの名字なのだが、直訳すればラッパ吹き、ほら吹きとでもなってしまいそうで、これが少し気になる。