今日の迷言:3月22日

2015/03/22 09:36


狼の忠誠心は恋愛感情と同じものである。

忠誠心は恋愛感情に通じ、恋愛感情はまた母親への思慕と性欲を掛け合わせたものである。

ジャック・ロンドンの白牙を読んでいて思うのは、75%が狼で残りの25%が犬の血を引くとされるホワイトファンの終に巡り合った主人ウィードン・スコットに対する思慕の念の深さである。

ウィードンがしばらく故郷に帰り姿を見せなくなる。そのとたんに彼は食べ物が喉を通らなくなる。だんだんと体力がなくなり、周りの犬たちはこれ幸いと彼を苛めはじめるのだが、それさえ彼にはどうでもよいことになる。ウィードンの部下であるマッシャーのマットが心配して彼を慰めたりするのだが、それも白い牙には何の効果も示さない。
マットはウィードンにこのままでは彼は死んでしまうだろうと手紙を書く。
それを読んだウィードンは白い牙のもとに戻るのだが、そのときの白い牙の態度は犬のような大仰なものではまったくない。わずかに尻尾を振る程度のごくささやかなものなのだが、その眼はウィードンの眼を捉えて決して離さない。

わたしは、これは恋愛感情と同じものであろう、と思うのである。あるいは幼児が母親を慕う様子と同じではないかと考えるのである。

恋愛というものの根源について考えてみると、これは性欲と切り離すことはできない。
性欲はごく単純な生殖のためのものであり、恋愛感情とは本質的には直結しないもののはずである。しかしそれが人間の場合において、ほとんど不可分の関係になったのはなぜだろう。

わたしが考えるには、この両者は進化の、それもごく最近の過程の中で結びつくことになったのである。

先に、本質的には直結しない、と述べたが、恋愛感情と母親に対する思慕はいくらか近い距離にあった。
だから、恋愛感情と性欲とは結びつき、両者が協力して家庭を築きあげ、両者の子孫を、つまりは遺伝子を合理的に残す役割を果たすことになったのである。

狼、あるいは犬の忠誠心が思慕の念と近いものであるとするなら、それが恋愛感情と似ていても少しも不思議ではないのである。