2017.6.2: 今日の迷言 古いものが古いとは限らない

2017/06/02 17:33

ジャックロンドンやソローの一世紀以上前の本を読んでいて感じるのは、その中身が全然古いどころか、思想的には現代を超えているように思えることだ。

ジャックロンドンで言えば、彼は狼や犬の視点を通して、如何に人間が猿であるかを教えてくれる。これは、マークローランズの「哲学者と狼」にも通じることで、恐らくローランズはジャックロンドンの影響を受けている。

例えば、ホワイトファンの中で、白牙を痛めつけるビューティースミスは、猿そのものである。白牙の優れた闘争性を見抜いた彼は、グレイビーバーを酒で釣って白牙を騙し取ると、彼を闘う狼に仕立てて興行を行い金を得る。

「森の生活」もまたWaldenの森という大自然がその舞台であり、そこで2年と2ヶ月を過ごしたソローの体験記ではあるが、彼の自分では自分をハーミット(遁世者)ではないと言いながら、本当は骨の髄からの遁世者ではないか、と思わせる辺りが面白い。

これはマークローランズもまたそうであった。もっとも彼は自らmisanthropeであることを認めている。

かく言うわたしも実は骨の髄からの遁世者である。これは断言しよう。だからソローにもローランズにも、またジャックロンドンにも共感できるのだ。

如何に世の中が人工のもので溢れようと、スマホやディジタル機器が世間を席巻しようと、われわれ自身が人工物でない以上、もっとも親しむべきは自然である。これを忘れてしまっている今の世の中は非常に危うい。自分達だけが主人公だと勘違いしてしまっているからだ。

わたしたちは余りに便利さに慣れてしまった。車が人類の足を萎えさせてしまったように、今度はスマホタブレットがわたしたちの頭から真の智慧を奪い取ってしまうのではないのだろうか。