奔訳 白牙18

2016/12/31 18:28


この生殖を巡る戦いは、両側を二人のライバルに挟まれた三歳の若狼にとっての初陣であり彼の人生の成否がかかるものであった。彼らの目に映るのは雪の上に佇んで微笑を浮かべている一頭の雌狼である。
しかし、老狼は賢かった。恋においても戦と同様に老獪であった。若狼はそのとき、肩に帯びた傷を舐めるために顔を背けた。そのため首筋が敵に対して無防備になってしまった。隻眼の老狼はそのチャンスを逃さなかった。彼は低く突進すると牙を閉じた。長く、そして深く切り裂いた。牙は、その動きの中で喉に沿って走る大静脈の壁を切り裂いた。そして跳躍して身を躱す。

若狼は恐ろしいほどの唸りを上げたが、それも途中で咳き込むような音に変わった。血飛沫と咳を上げながら、既に打ちのめされているにもかかわらず、なおも生が抜けきるまで老狼に飛び掛かろうとするが、四肢が萎え、目に映る日の光もだんだん暗くなってゆき、牙のブローもジャンプもだんだんと短くなっていった。

これらすべてを、雌狼はずっと尻をおろし微笑をうかべたまま見ていた。彼女は戦いの様子に心なし満足そうであったが、それが野生を生きるものにとっての恋愛の流儀であり、野生における性の悲劇は、ただ偏に敗者だけのものに過ぎないからである。生き残ったものにとっては、なんら悲劇ではなく、現実であり実現なのであった。

若狼が雪の上に横たわって動かなくなると、老狼は雌狼に忍び寄った。その物腰は勝利の喜びと用心深さが入り混じったものであった。彼は拒否を予想していたのだが、彼女が怒って歯を剥き出してこないことに驚いた。彼女がこのような優しい態度で彼に接するのは初めてのことであった。彼女は彼の鼻を嗅ぎ、幾分優越的な態度で飛び退くと身を捩り、子供が遊ぶような態度で接した。また彼の方も同じく年輪を経た賢者には似つかぬ子供じみた、というよりもむしろ愚者の態度で振る舞った。

雪の上に赤く恋文を書き残し滅ぼされた仇敵はすでに忘れ去られた。忘れ去ってしまった、とは言うものの、片目は自らの肩口のすでに固くなった傷を舐めようとして動きを止めたとき、唇が唸ろうとして捲れあがり、肩や首筋の毛が無意識に逆立ち、すぐにでも飛び掛かれるように身を屈め、足の爪は雪の上に足がかりを得ようと痙攣的にもがいた。しかしそれは次の瞬間には忘れ去られ、彼は自分を森の中に導こうと媚を売るように走り出した雌狼の後を追った。

その後、二頭はお互いに理解しあった仲の良い友のように並んで走った。日々は過ぎていったが、二頭はいつも共に狩をして獲物を殺し、そして分かちあって喰った。
それからしばらく経つと、雌狼が落ち着かなくなってきた。彼女は何かを探そうとしているようであった。倒木の虚ろに興味を示し、深く雪の積もった大きな岩の割れ目やせり出した土手の洞穴に鼻先を突っ込んで時間を費やした。老狼にはまったく興味のわかないものばかりであったが、おとなしくパートナーの後に従い、彼女がとある場所で探索に一所懸命であるときには、彼女の気が納まるまでじっと腹這いになって待った。

二頭は同じ場所にはとどまらず、再びマッケンジー河を目にするまで旅を続け、そこからゆっくりと南に下って支流沿いに狩を行ったが、常にまた元に戻ってきた。
ときに彼らは他の狼たちとも出会ったが、大抵彼らはカップルであり、お互いに友好的な素振りも会えてよかったというような感激を示すこともなく、再び大きな群れに戻ろうというような意志も見せなかった。
ときどき、一頭だけの狼に出会うこともあった。それはいつも雄の狼で、片目と連れ合いの仲間になりたいという意思表示をしてみせた。これには片目は憤然とし、また雌狼も片目と肩を並べて毛を逆立て歯を剥き出して見せたので、孤狼は肩を落として再び孤独な道へと引き下がらざるを得なかった。

ある月夜、静かな森の中を走っていた片目は矢庭に立ち止まった。鼻が上を向き、尾は緊張で固くなり、そして鼻腔がもっと空気を嗅ごうと拡張した。犬がよくそうするように彼も前足の一つを上げたままである。彼はそれでは満足できずに空気を嗅ぎ続け、その臭いに込められた彼へのメッセージを読み取ろうとした。たった一嗅ぎで彼の連れはその意味を理解し、彼を安心させるかのように臭いの源へと駆け寄った。彼は連れに従ってはみたものの、疑心を拭いきれず、用心のためにときどき立ち止まっては危険を読み取ろうとした。

彼女は注意深く森の中の開けた空間の一歩手前まで進んだ。何度か、彼女はひとり立ち止まった。片目が匍匐前進するように忍び歩きをし、全神経を警戒モードにし、全身の毛を絶え間のない緊張に逆立てながらようやく彼女に追いついた。二頭は横並びになり、見、聞き、そして臭いを嗅いだ。

彼らの耳に届いたのは犬たちの取っ組み合いや小競り合いの喧騒であり、男たちの腹の底から出てくるような怒鳴り声や、女たちの鋭い叱り声であり、ときに甲高いこどもたちの悲しそうな叫び声であった。
大きな革で作ったテントに妨げられた焚火の灯が人影が行き交いするたびにちらちらするのが見え、また煙がゆっくりと静かな空気の中を立ち昇っていった。そして、彼らの鼻にはインディアンのキャンプから放たれる何百という臭いが届けられ、片目にはその意味するものがほとんど理解できなかったが、雌狼にはそのすべてが既知のものであるらしかった。
彼女は変に思えるほど心をかき乱されており、その臭いを嗅ぐたびに嬉しさの度合いが増してくるようであった。しかし隻眼の老狼は一向に疑心を拭いきれない。彼は疑念を振り払うかのように躊躇いながらも前に進んだ。彼女は振り返ると、安心させるように彼の首にその鼻を触れ、キャンプの方に向かった。新たな決心がその表情から読み取れたが、それは飢餓からくるものではなかった。彼女は、彼女をそこへ、火の近くへ、巻き込まれるであろう犬たちとの喧騒へ、そして人間の男たちが踏み鳴らす足から巧みに避けて歩かねばならない場所へ導こうとする自分自身の欲求そのものにスリルを覚えているのであった。