超訳 荒野の呼び声 17

2015/10/24 17:07


サーティマイルリバーは比較的氷が厚く、彼らは十日間かかると想定していた距離をたった一日で走破してしまった。レイク・ラ・バルジ湖畔からホワイトホースラピッヅまで六十マイルを一気に走り切ったのである。マーシュを横断し、ターギッシュ、そしてバーネット(湖沼地帯から七十マイル)と飛ぶように走り、二人の男は交代で橇の後ろを走るときにはロープで牽引された。そして二週目に入った最後の夜ホワイトパスの頂上に達し、それからは海までの下り坂をスカグウェイの町明かりを頼りに走ってそこに停泊した。

新記録の達成であった。十四日間を平均して毎日四十マイル走った。そしてそれからの三日間、ペラールトとフランソワは意気揚々とスカグウェイに滞在し、そこで歓待の酒に耽り、一方犬たちは犬使いや橇引きたちの称賛の的となった。そして、西部出身の男三、四人が何か悪事を働いて町をずらかるのにこの犬たちを盗もうとしたのだが、哀れにもさんざん咬みつかれて胡椒のカンのごとく穴だらけにされてしまった。当然このことは人々の関心事となった。
そして政府の新たなる指示がきた。フランソワはバックをそばに呼ぶと、腕を肩に回しおいおい泣いて別れを惜しんだ。これがペラールトとフランソワとの最後であった。他の男たちと同じように、彼らもまたバックの生涯に良い思い出を残して去っていったのである。

スコットランド系の男がバックと仲間の犬たちを引き継ぎ、他の犬たちを加え総勢一ダースのチームを編成てしドーソンまで引き返すという骨折り仕事が始まった。今回は、このあいだとは違って記録の達成など望むべくもなかった。重い荷物を後ろに引き摺って毎日走り続けるという過酷な旅だったのである。なぜなら今回は、世界中から届いた手紙を北極圏で金を見つけた男たちに運ぶという郵送の仕事だったからである。

バックはこの仕事に気乗りがしなかったが、ソルレックスやデイブと同じようにプライドを持って行い、他の犬たちが同じようにプライドを持ってそれぞれの役割を果たしているかどうかをよく観察した。毎日が機械の動きのように短調であった。日々同じことの繰り返しで、毎朝同じ時刻になると煮炊きをするために火を起こす。そして朝食を済ますと、ある者はキャンプをたたみ、また別のある者が犬たちにハーネスを着け、夜が明ける一時間前に出発する。夜になると再びキャンプを張る。ある者がテントを張り、別のある者が焚き木を切って集め、松の枝を切ってベッド代わりにする。テントを張り終わった男は、続いて煮炊きに必要な水か氷を運んでくる。犬たちにも食事が与えられる。犬たちにとって、これは一日の一大行事であった。もっとも、魚を喰い終わった後の一時間ばかりを仲間の犬たちといろいろ交流して楽しむことも百年かそこら続く彼らの変わらぬ習慣であった。
新たな犬たちの中には喧嘩好きの猛者がいたが、バックが三度ばかり喧嘩をして彼らをみな納めてしまうと、彼が毛を逆立て歯を見せただけですごすごと尻尾を巻いて逃げるようになった。

何が好きかといって、バックにとっては火のそばで後足を身体の下にたたみ、前に伸ばした前足に頭を乗せて休むことが一番で、そんなときには、火を映した彼の眼は夢見心地に瞬くのだった。ときどき彼は、サンタクララバレイにあるミラー判事の大きな家やセメントで作ったプールのこと、それにイザベルやトーツを思い出した。また、たびたび彼は赤いセーターの男やカーリーの死、スピッツとの死闘を思い出し、またこれまで喰ってうまかったものやこれから喰いたいと思うもののことを思った。しかしホームシックにかかったわけではない。暖かい南の地のことはおぼろげで遠い出来事のように思われたし、あのころのことは今の彼になんら影響を与えなかった。それよりも彼に強く影響を及ぼしている記憶は、彼が一度も見たこともないはずのもので、これは遺伝によるものと思われた。本能(それは彼の祖先たちの記憶が習慣となったものである)が時を越え、彼の中に蘇って再び活力を取り戻したのである。

バックはしばしば、火のそばでうたた寝をしているときに、いま目の前にある火が別の時代の火のように思えることがあり、そんなときには彼の前で煮炊きをしているスコットランド系の男が何か別のもののように思えてしまうのだった。
この別のものは、足が短くて手が長く、筋肉は丸く膨らんでいるというよりは筋っぽくてこぶが多かった。毛は長くて厚く、頭の形は額が後ろに傾斜している。このものは何か奇妙な音声を発し、闇をひどく怖がっていて、そのために眼は絶えずその向こうを見ている。その手には先に石を括りつけた棒を持っていて、膝と足の間にぶら下げている。彼は、ボロボロでところどころ火で焦げた毛皮を背中の後ろに垂れ下げていたが、それ以外は裸も同然であった。しかし彼自身がとても毛深くて、胸から肩にかけて、そして腕の外側や足の腿は毛皮を着ているように見えた。彼は直立できず、腰から上が前に折れ曲がり、膝も曲がっている。身体は全体がばねのようにしなやかで、ゴムのような柔軟性をもっていて猫のようであった。また、見えるものえざるものを問わず脅威とともに暮らす者特有の鋭い警戒心をもっていた。