超訳 荒野の呼び声 11

2015/10/12 22:49

ペラールトには何も考えが思い浮かばなかった。思い浮かばなかったのは、彼がカナダ政府に選ばれた郵便配達人だったからである。彼は、あらゆる危険を冒し、その小さな鼬のような顔を氷や雪の中に突っ込んで、まだ空の明けやらぬうちから暗くなるまで奮闘を繰り返さざるを得なかったからである。彼は、顰め面をした川縁の、きしんだり割れたりする氷の上を途中で止まることもできずただ進んだ。一度、橇がデイブとバックとともに氷を突き破って水の中に落ち、二頭とも半身からまるまる全身凍てついて、そのまま溺れそうになったのだが、幸いすぐに引き上げられた。とにかく火を焚いて彼らを救わねばならなかった。二頭とも毛の中まで固く凍り付いていたので、男二人が火の周りをぐるぐると湯気を上げながら氷が解けていくまで走らせなければならなかった。このときには余りに火に近かったので二頭とも毛を焦がしてしまった。

また、スピッツが落ちて、他の犬たちを道連れにしてしまったこともあり、バックが全力で踏ん張って橇の落下を食い止めたのだが、そのときにはバックの前足も滑りやすい氷の縁も痙攣のように震え、今にも割れそうになった。バックの後ろにはデイブがいたので、彼もバックと一緒になって後ろに引っ張ろうとし、さらに後ろにいたフランソワがアキレス腱が切れるほど力を込めて引っ張り上げたのである。

河縁の氷は橇の前でも後ろでも何度も割れたが、といって避難できる場所は崖の上しかなかった。フランソワが奇跡を祈る中、ペラールトがまさに奇跡的にその崖をよじ登り、あらゆる綱と橇の引き紐、それにハーネスのロープまで使って一本の長いロープにして、犬たちを一頭一頭崖のてっぺんまで引き上げた。そして、フランソワが橇と荷物を引き上げた後、最後に崖を登った。しかし今度は降りるべき場所を探さねばならない。しかもその降下はロープだけが頼りである。夜になるころ、ようやくその日の予定を四分の一マイル残して再び河に降りることができた。

そのとき、彼らはフータリンカ(カナダ先住民の言葉で、ユーコン川沿いにある村の名)を踏破し氷の質も良くなっていたので、バックも楽に橇を引けた。他の犬たちの調子も良かったが、ペラールトはロスした時間を稼がねばならず、朝早くから夕方遅くまで犬たちを急き立てた。そして最初の日には、彼らはビッグサーモンまで三十五マイル走り、翌日にもリトルサーモンまでさらに三十五マイルを稼いだ。三日目は四十マイル走ってファイブフィンガーにまで達した。

バックの足はハスキーほど小さくもなければ固くもなかった。彼の足は、野生であった最後の祖先が穴居人や川沿いに住む原始人によって飼いならされて以来、何代も代を重ねるごとに柔くなっていたのである。一日中彼は、痛む足を引き摺って歩くようになり、キャンプが張られるとすぐに死んだように横になった。空腹にもかかわらず、痛みをおしてまで糧食の干し魚を取りに行く気にならなかったのだが、フランソワが手ずから彼のもとへそれを持ってきてくれた。そのうえ彼は、毎日食後の三十分バックの足を摩ってくれ、さらには自分のモカシンの上部を切って彼のために前後二足づつ靴を作ってくれた。これが彼にはとても嬉しかったので、その朝彼は、ペラールトの鼬顔を歪ませたような笑顔をつくってみせた。しかし、フランソワはモカシンのことなど忘れてしまっていたので、バックは仰向けになると四本の足を宙で泳がせ、もうこれなしでは一歩も歩かないよ、という意志表示をしてみせた。もっとも後には、彼の足もだんだんと固く丈夫になり、擦り切れた靴は捨てられてしまった。

ペリーでのある朝、みながハーネスを装着しているとき、ドリーというこれといって目立つことのなかった犬が、突如としておかしくなってしまった。彼女は長い、心を引き裂かれるような狼の吠え声を上げ、これを聞いた犬たちはみな、恐怖に毛を逆立てた。そして彼女はバックに襲い掛かってきた。バックは狂った犬など見たことがなければ、その恐ろしささえ理解できなかった。しかし彼は、ともかくそれが恐ろしくなって恐慌を起こしドリーから逃げ出した。真っ直ぐに彼は走ったがドリーが息を切らせ泡を吹きながら、一跳びで追い越せそうなほどすぐ後をついてくる。彼の恐怖は凄まじかったが、ドリーの狂気もまた凄まじく、彼は彼女を振り切ることができない。彼は中州の少し高くなった森の中へと突っ走ていき、それを端まで下り、岩のような氷の詰った河を渡って反対側の中州を駆け抜けた。さらに三つめの中州を渡り、折り返して河の中をさらに走り、ただ必死でそこを渡りきろうとした。彼は後ろを振り返ることさえできず、ただすぐ後ろで彼女の唸り声がするのを聞くばかりであった。フランソワが彼を呼ぶ声が四分の一マイルほど先で聞こえ、そのときバックは初めて後ろを見たが、まだ一跳びで追いつかれそうな距離である。彼はもうフランソワが助けてくれることだけに期待をかけて苦しい息を切らせながら走った。犬使いは斧を手に持ち、バックが彼の横を通過した瞬間、それをドリーの頭に打ち込んだ。

バックは橇を前にしてようやく立っている状態で、くたくたにくたびれ、息を喘がせ、動くことさえできない。これはスピッツにとってまたとない機会であった。彼はバックに飛びかかると、何もできない敵に対し二度もその牙を沈めさせ、骨が見えるほどに切り裂いた。フランソワが急いで駆けつけ、これまで一度も見たことがないほど激しくスピッツを鞭で打ったので、バックは溜飲を下げることができたのであった。

「あのスピッツの奴は悪魔だな」とペラールトが一言口を挟んだ。「いつか、奴はバックを殺してしまいかねねぇぞ」

「あのバックの奴はその倍も悪魔だぜ」というのがフランソワの返答だった。「俺はいっつも奴を見ていたからよく分かるんだよ。いいかい、いつかあるいい日にバックの奴めは鬼のように怒ってあのスピッツの野郎めを食いちぎって雪の上に吐き出してしまうだろうよ。これはまちげぇねぇぜ」