To the Cuckoo

2016/03/26 11:10


To the Cuckoo 

O blithe New-comer! I have heard,
I hear thee and rejoice.
O Cuckoo! shall I call thee Bird,
Or but a wandering Voice?

While I am lying on the grass
Thy twofold shout I hear;
From hill to hill it seems to pass,
At once far off, and near.

Though babbling only to the Vale
Of sunshine and of flowers,
Thou bringest unto me a tale
Of visionary hours.

Thrice welcome, darling of the Spring!
Even yet thou art to me
No bird, but an invisible thing,
A voice, a mystery;

The same whom in my school-boy days
I listened to; that Cry
Which made me look a thousand ways
In bush, and tree, and sky.

To seek thee did I often rove
Through woods and on the green;
And thou wert still a hope, a love;
Still longed for, never seen.

And I can listen to thee yet;
Can lie upon the plain
And listen, till I do beget
That golden time again.

O bless?d Bird! the earth we pace
Again appears to be
An unsubstantial, faery place;
That is fit home for Thee! To the Cuckoo

Willam Wordsworth


郭公君へ

やぁ、またやってきたんだね! ぼくはしかとこの耳で聞いたよ
君の鳴き声を聞いて、ぼくは嬉しかったよ
郭公君、君はほんとうに鳥なんだろうか
それとも、さまよえる精霊の声なんだろうか

草に寝て、
君が二回 鳴き声を放つのを聞いた
その声は丘から丘へと渡っているようだ
遠くから そして近くから

谷間に向かって歌っているのかい
日差しの素晴らしさや 匂いたつ花々について
君はぼくの目にも映るよう
歌ってくれているんだね

 

三度目になるが言おう 来てくれてありがとう 春の使者殿
ぼくにとって君は いまだ
眼に見える ただの鳥などではなく
不可思議な 声霊なのだ

学徒のころ 同じ声を耳にして
深く 聞き入ったよ
その声は ぼくにはいろいろに思えた
藪の中 林の中 あるいは空

君を求めて ぼくは歩き続けた
森の中や あるいは草の上を
君はいつも 希望であり 愛であり続けた
いつも憧れであり 姿の見えぬものであり続けた

だからぼくは 今も君を聞き続けている
草地に寝そべり 
ずっと聞きつづけている 飽きることなく
あの至福のときが またやってきたんだ

ああ 祝福されし鳥よ ぼくらの住む地上へ
またやってきてくれたんだ 本当は
目には見えない 精霊の住む
ところこそが 君の居所であろうに 郭公君


                       訳 荒野一狼


ワーズワースの詩には懐古的な響きがあるように思う。この郭公にしてもそうだ。郭公はもちろん鳥だが、ここにはそれ以上のものとして、少年時代と今とを貫く、何か普遍的なエーテルのようなものとして郭公の鳴き声が謳われている。

splendor in the grass にしても同様。映画の中で、ナタリーウッド演ずるヒロインのディーンが女教師からこの詩を朗読し、何がこの詩では謳われているのか説明を求められる。この映画の素晴らしさの一端が早くもこのシーンから伺える。ディーンは、この詩の意味を真に理解し、この詩に自らのdoomed romanceを予見したからこそ、突然泣き出してしまったのである。