ぽっぽ屋とレビー小体型認知症

 

2016/04/21 11:46

GYAOで「BOSS」というのをときどき見ている。シカゴを舞台にした権力闘争の話なのだが、主人公のシカゴ市長トム・ケインは、自らが認知症に侵されていることを知っている。
その認知症はレビー小体型と言われるもので回復の見込みはない。そればかりか、余命も数年ほどと限られている(今はそんなことはない)。

実は、幼稚園児だった頃、家の近所に、今から思うにこの病気ではなかったかと思われるおっさんがいた。多少アル中の気もあったのかも知れないが、このおっさん、ときどき自分ちの前を流れる川端に立って、誰もいない川の方を指差したりしながら、わたしの目には見えない相手と口論をしているのである。携帯電話の普及した現代なら珍しくもない光景かも知れないが、電話もろくになかった時代のことである。
わたしには不気味でしようがなかった。

レビー小体型認知症というのは、アルツハイマーなどと比べるとまだまだ世間の認知度は低い。比較的症例が少ないことと、発見されてからあまり年月が経っていないこともあると思われる。

ところで、この病気の名を聞いてわたしが思い浮かべるのは「鉄道員(ぽっぽや)」の松っちゃんのことである。
松っちゃんを演じたのは昨年亡くなった高倉健さんであるが、泣かせの浅田次郎の原作はもちろん、建さんの演技あればこその名作であろうと思っている。
それはともかく、朴訥で鉄道員の仕事一途であった松っちゃんは、結婚をして十何年も経ってからようやく女の赤ちゃんを授かるのである。雪の降る日に生まれたので雪子と名付け、ゆっこと呼んで可愛がったが、この子は風邪を拗らせて死んでしまう。
しかし、その後も松っちゃんは淡々と駅長としての職務に専念し続け、ゆっこのことなどすっかり忘れてしまっているようにさえ映画は映しだしている。

それから十七年という歳月が流れ、大竹しのぶ演ずる松っちゃんの妻もすでに亡くなっている。
松っちゃんも一人寂しく定年を迎えねばならない年齢である。そんな彼の元にある日、少女が現れ、ちょくちょく彼の務める駅に遊びにやってくるようになる。

この少女のことを、松っちゃんは近くの住職の孫娘と思い込んでいるのだが、実は・・・、という話なのである。

作品ではもちろん、レビー小体型認知症の話など一片も語られない。こんな話をするのはわたしだけである。しかし、泣かせの浅田次郎氏が何の根拠もないような、お伽噺のような話を書くわけがない、とわたしは思うのである。

仮に松っちゃんがレビー小体型認知症に罹っていたとする。すると、この話はにわかに現実味を帯び、名作がさらに名作の味わいを深くする、とわたしは思う。
ぽっぽやでは、認知症が隠し味になっているのである。