奔訳 白牙22

2017/02/05 17:09


洞窟の入り口に横たわり気持ちよさそうに寝てはいるものの、片目は空腹だった。彼はふと起きあがると耳を立て明るい外界の様子を伺う。四月の日差しが雪の大地をてらつかせていた。実はまどろんでいた時、どこからか水の流れが滴り落ちる囁きがこっそりと彼の耳に忍び込んできて、それが彼の目を覚まさせたのであった。太陽が戻り、目覚めた北の大地が彼をも呼び起こそうとしていた。命がさんざめきあっていた。春の訪れが空気に、命の芽吹きが雪の下に感じられ、樹液が木々の中を這いあがり、若芽は氷結の足枷を砕こうとしていた。

彼は気ぜわしげな目を連れに投げかけたが、彼女は一向に立ち上がる気配を見せない。外に目を向けると半ダースばかり雪ホオジロの群れが飛び立つのが見えた。彼は立ち上がろうとして、再び連れに目を向けたが、結局また座り込んで転寝を始めた。
短く鋭い歌声が彼の眠りを奪った。一度、いや二度、彼は眠たげに前足で鼻先を払った。それからようやく起き上がる。
空中で、彼の鼻先で音を立てているのは一匹の蚊であった。それはでっぷりした蚊で、乾燥した枯れ木の中で凍ったように一冬を過ごし、それが太陽に溶かされて出てきたのであった。彼は、もはやこれ以上、世界が自分を呼ぶ声に抗うことはできなかった。それにともかく空腹であった。

彼は連れのところまで這っていって起きるよう促した。しかし彼女はそれに唸り声で応えるだけであったので、彼は明るい日差しの下に出て柔らかで歩くのに骨の折れそうな雪を踏みしめた。彼は、木陰になっているために固く結晶し凍てついた河床を歩いた。
彼は八時間歩き、出立した時よりも腹を空かせて暗がりの中を帰ってきた。獲物を見つけはしたが手にすることは出来なかった。彼は一度融けて再度凍結した雪を踏み砕いて水に落ちてしまい、一方獲物の雪ウサギといえば慣れたもので軽々とその上を走って逃げてしまったのであった。

彼は、洞窟の入り口で俄かにショックを受けた。微かな、奇妙な音が中から聞こえてきたのである。それは連れが出す音ではなかったが、どこか聞き覚えのある音でもあった。彼は腹ばいになって耳を欹てたが、すぐに雌狼の唸り声の返礼を受けた。彼はこれを距離を保ったままじっと我慢して受け入れたが、その微かな、忍び泣きのようにも聞こえるだらだらした音にはずっと興味をそそられつづけた。

彼の連れが苛立って追い出そうとしたので、彼は入り口で丸くなって寝るより他になかった。朝が来て、微かな光が巣を侵食すると、彼は再び聞き覚えのある音の源を探ろうとした。連れの唸り声には新たな調子が加わっていた。それは何か大切なものを奪われまいとする嫉妬心から来るものであったので、彼は用心深く彼女からの距離を保った。
それでも彼は、彼女の四肢と身体の間に五つ小さな束のようになった生命が、とてもひ弱で極めて無力な生命が、未だ光に目を開くことさえできないまま小さな泣き声を上げているのを見出した。彼は驚いた。彼の長く成功した人生の中で、これは初めてのことではなかった。何度も経験してきたことではあったが、彼にとってはいつも新鮮な驚きに満ちた出来事だったのである。