文化とエピジェネティック

2017/02/05 20:55


最近の研究によると、人間の文化とエピジェネティックには関係があるらしい。

小学生の頃、個が獲得した形質は子孫には遺伝しないと習ったが、これが嘘っぱちであったことがはっきりした。
狼の雄が人間を恐れるのはそのY染色体上のDNAを修飾するエピジェネティックに変異が起こるためであるということは何年か前に発表されている。
考えてみれば、当たり前のことである。狼は、アメリカ大陸でもヨーロッパでもアジアでもあるいはツンドラ地帯でも人間に目の敵のように殺されていって今やほとんど絶滅寸前である。
このような環境の激変に適応できる術を子孫に伝える手段がなかったとしたら、狼はとっくの昔に滅んでいたことであろう。彼らが今なお生きて残っていられるのは、人間が恐ろしい生き物であることを遺伝子上に伝えてきたからである。

さて、人間の文化もわたしたちの遺伝子上に記述されるということがほぼ確実になった。これから言えることは、やはり日本人には日本人としての血が流れているということである。日本列島という地理が、山紫水明の、自然災害の多い地勢が、そして神道や仏教やそれにまつわる様々な文化が日本人を形成してきた、ということである。

そうして、この文化というものについて考えるとき、どうしても比較せざるを得ないのは、お隣の朝鮮やシナという国のお国柄についてである。
特に朝鮮などは、地政学的に冊封国家であり回廊国家である。そしてそれが故に、今日のわが国との政治的紛争が現出しているのである。
まったく不要な軋轢を、自ら作り出して喜んでいるのが彼らの民族性なのである。
朝鮮は、国としてはシナに朝貢し、民としては両班に搾取されてきた。このような体制からは、まさに恨の思想しか生じ得なかったのである。

従軍慰安婦は、従軍慰安婦以上のものでも以下のものでもありはしない。それに性奴隷やら少女やら、あるいは強制連行やら、挙句の果てには虐殺やらと、なんでもかんでも付ければいいとばかりに言いがかりをつけてくる。

当時、わが国にも朝鮮以上に多くの慰安婦がいたはずなのに、ただの一人として彼女たちは日本政府に金品を要求したりはしない。ただの一言も愚痴をこぼしたりしない。
日本人にも何パーセントかは知らないが朝鮮人と同じ血が流れているという。しかし、同じ血が流れていても、文化や歴史が違う以上、日本人が朝鮮人と同じになれるはずがない。朝鮮人が日本人になれるはずがないのだ。

グローバリズムという言葉が使われ出してからもうずいぶんと時間が経つ。しかし、グローバリズムとは言っても、それは実質はユダヤ資本主義のことであったり、アメリカイズムのことであったりで、真のものではない。
真のグローバリズムは、互いの文化や歴史を良く知ることによってはじめて実現できるものである。いや、真のグローバリズムとは、互いの文化や歴史を、そして国民性、民族性の違いを良く理解し合う、そのことをいうのだ。