我が母

わたしには母がいる。当たり前のことだ。

わたしには、わたしより長生きの母がいる。

Mother Nature とはよく言ったもので、生きとし生けるもの全てにとって自然は母なるものである。

この自然を宇宙という言葉に置き換えてもちっとも構わないであろう。自然とは、主に地球上に起きる現象や事物のことを表すが、この地球を生み出したのは宇宙だからである。

宇宙は「わたし」を生んだ。そんな大層な、と言う勿れ。

宇宙は「わたし」を生み、「あなた」を生んだ。生きとしいけるものすべてを、そしてガスや鉱物や水や光を生んだ。


しかし、考えてみればすぐに分かることだが、この「わたし」が生まれることは最初から決まっていたことなのだ。

「わたし」の生まれない宇宙など存在しなかった。なぜなら、「わたし」と宇宙は一体のものであり、絶対に切り離せないからである。

「わたし」は、この世に17年しか存在出来ないかも知れない。50年かも知れない。長生きして100年生きられるかも知れない。

しかしそれは、最初から決まっていたことであり、宇宙の中に組み込まれていたことなのである。

組み込まれていた、と書いたが、誰かが組み込んだわけではない。それは、宇宙という系の本質であり、系の中にいる、というよりも系のほんの一部に過ぎないわたしたちには決して知ることができない。

仏教のいう因縁とは、因果ではない。この宇宙に起きていることは、わたしたちには原因とその結果の集積のように映るが、それならこの「わたし」が生まれた説明にはならない。

なぜなら、わたしが生まれるためには恐竜が滅びなければならなかったし、我が国は先の大戦で敗れねばならなかったからである。

「わたし」という結果と何千万年も前の恐竜絶滅を因果関係で結びつけることは不可能である。それは、単に帰納法的に、後出しジャンケン的に結果と原因をつないでいるに過ぎない。

いずれにしろ、わたしの母はこの宇宙であり、この母はわたしが死のうと人類が滅びようと永遠に姿形を変えながら存在するであろう。