優先席について思う

どこかの大使館員だったか、外交官という立場のユーチューバが、わたしに言わせればまったく要らんことをしてくれた。おかげで、電車の優先席について勘違いする者が増えたことは間違いない。

この男は、電車が空いているから、という理由で、われわれ日本人に「空いていれば優先席だって座っていいんですよ」ということをわざわざ教えてくれようとしたのだ。

わたしは、こういうのを余計なお節介というのだと思う。

良識を持った日本人なら、そんなことわかっとるわい、と思うであろう。

それでも座らないのは、偏にそれが日本人の美徳だからだ。

 

たしか新渡戸稲造の「武士道」だったと思うが、どこぞの外国からの外交官夫人だったか、これも記憶に薄いのだが、夏の盛りに茶店の桟敷かなんかで涼をとっていた。そこに知り合いの日本人の婦人が日傘をさして通りかかった。

彼女は外交官夫人を認めるや否や歩みよって挨拶をしたのだが、そのときに彼女は日傘を畳んだ。それがこの外交官夫人にはとても奇異に映ったということが書いてある。彼女は、日差しの強い中、わざわざ日傘を畳まなくとも、自分は日陰にいるのだし、何の助けにもならないと合理的に考えたのであろう。

わたしたち日本人であれば、日傘を畳んだ婦人の行為は、奇異どころか極めて当たり前の姿に見える。もしもこの婦人が日傘をさしたままわたしに挨拶をしたなら、なんとrudeな女だろうと決して好印象を持たないであろう。

 

優先席であることが分かっていて、他の一般席が空いているからといって、だれもかれもが我先に優先席に座ったなら、もはや優先席の意味は失われる。それどころか、小狡いというか目敏い人たちにとってその席は、まさにプライオリティーの高い狙い目のものになってしまうであろう。

 

ローマに入ればローマ人のやることに倣えとは先人の知恵だが、この外交官にそのような知恵はなかったらしい。それよりも、日本人には教育が必要だと考えたわけだ。

戦後、アメリカが日本人に教育が必要だと考えたように。