「関東大震災」について2

2009/12/28 23:42

さて、著者は大正という時代について「液状化する大正時代」の一章を設けている。そして、その副題として「――朝鮮人激増――」としている。

大正時代に在日朝鮮人はなぜ増えたか。著者は、壬午事変に遡り、そこから日韓併合(明治43年――1910年。震災まで13年)までの複雑な民族同士の感情が絡まる歴史を追っている。
そしてさらに、「関東大震災に合わせて朝鮮人が大挙して不穏な行動をとり、国政を危うくしようとする前提になったのが『3・1独立運動』であった」としている。

それによると、「大正八(1919)年三月一日、京城中心部の公園でキリスト教、仏教、天道教など各派の代表三十三名が『朝鮮独立宣言』を読み上げることから騒ぎは始まった。
 そして、この宣言に刺激された数千人規模の学生、労働者が市内で過激なデモ行進をしながら口々に『独立万歳』を叫んで、警備する日本側官憲と衝突を繰り返す事態となった。
 学生、労働者の大群はデモや投石にとどまらず、官公庁、警察などを襲撃し、火を放つ暴徒と化した。さらに在留邦人の生命も危険にさらされていた。
 運動は全土に拡大し、警官側の死傷者も多数数えるに至った。当然違法デモには厳しい弾圧を加えることになった。法治国家である以上、やむを得ない正当な鎮圧といえる。これが五月まで続いた。
 独立運動派にも多くの死傷者や家屋の焼失など悲惨な結果が訪れた。逮捕、送検された被疑者は実に1万二千六百六十八名、起訴された者六千四百十七名に及んだが、死刑、無期懲役になった者はいない。懲役三年以上十年程度の判決が中心という軽微な刑の申し渡しでこの事件そのものは収束に向かう。
 だが、司直の手を逃れて国外へ逃亡した被疑者である運動家たちの数は計り知れない。
 独立運動の中心人物は上海へいったん上陸し、満州の間島で武装闘争の再起を図っていた。またある一群は密航者となって日本へ潜入して時期の到来を待ったのである」とある。

 さらに、「民族の大量移入」と題する一節には、「原敬首相の温和な対応や齋藤實総督の環境改善政策、インフラ改善などが始まっても抗日運動家たちがおさまることはあり得ない。運動にはロシア革命によって自信を得た社会主義者たちが背後に必ず張り付いていたからである」とある。
 
 このように、関東大震災という一大テロ事件の背景が克明に記述されている。この事件は、地震に乗じたテロ事件であったことはもはや疑う余地はないとさえ思われる。数々の証言が記載されていて、それらは臨場感溢れるものばかりである。大火の大部分は朝鮮人による放火、および爆弾によるものであった。また、彼らは女子供まで使い、井戸に猫いらずを投入させたりしている。これをテロといわずに何と呼ぼう。彼らの悪辣な行為により、一時期関東地方一帯は阿鼻叫喚の地獄と化したのである。

 このような行為に対し自衛を行うのは当然のことである。これらの不逞な人間を怒りに任せ殺害したとしても誰が非難できようか。
 もちろん筆者は、全ての在留朝鮮人がテロにかかわったなどと暴論を吐いているわけではない。むしろ、日本に来て細々と生計を立てねばならなかった多くの朝鮮人には同情的ですらある。

 しかし、著者が静かな怒りをもって訴えているのは、恐るべき事実であったテロを流言飛語として歴史から抹殺しようとする運動にたいしてなのである。このような運動は日本人の今日と変わらぬ自虐意識に根ざし、それを大きく芽吹かせようというものであった。著者はその主要な人物として吉野作造を挙げている。

それにしても、なぜこのようなことがこの国では当たり前のようにおこるのか。それは、わたしが思うに、わたしたち日本人のもつ事なかれ主義、すべては水に流せば済むという国民性にあるのではないか。それに加えるに、進歩的文化人などと蔑称にも等しい名で呼ばれる者たちの影響が極めて大きい。文化勲章は拒否してもノーベル賞はありがたく頂戴するという大江健三郎のような人間の思想が大きくかかわっているのである。
 
 だが、流言飛語説は別にして、国家そのものが戒厳令から急転直下、勅令により朝鮮人を擁護する政策に大転換したことは事実である。これは、9月2日夜から変わった山本権兵衛新内閣の後藤新平内務大臣の考えによるものであった。すなわち、後藤は「水野の武張った朝鮮政策から警備方針を変え」ようとしたのである。後藤は「国体=摂政宮の安全を維持するのが自分の使命だと心に決めていた」のである。このために、「後藤は山本首相を説得し、枢密院を動かし、遂に摂政宮の勅命を引き出すという豪腕振りを発揮したのである」

 わたしは、後藤新平のとった政策が間違っていたとは思わない。もしも、彼の方針変換がなければ、テロリストたちの術中に陥り事態は更に悪化したかも知れないからである。
 しかし、政策の大転換により報道の自由が失われてしまったこともまた事実である。このために、本来であれば抹殺されてしかるべき流言飛語説が現代に至るまで白昼堂々と往来を闊歩しているのである。

 冒頭述べたように、わたしはこの本をまだ読み終えていない。読了せぬうちにこの本の真髄に触れたつもりで語ろうとしている。愚かなことである。しかし、この本が大変な力作であり良書であることには一片の疑いももたない。ぜひ、皆さんにも読んでいただきたいという思いから、かなりの抜粋もお断りなくさせていただいたしだいである。