朴裕河教授の勇気

2016/01/20 17:32


この世の中において、最も尊敬に値するものは、わたしが思うに勇気である。逆に、最も唾棄すべきものは阿諛、すなわち阿りの心である。

従軍慰安婦問題は、わたしにとっても大きな関心事である。この問題については、一日本人として憤慨に堪えなかった。河野談話にしろ、その前の村山談話にしろ、韓国に阿っているとしか思えない、事実を著しく歪めた個人的な見解が示された。

わたしの考えを言うなら、この問題の根本には韓国のポピュリズムがある。もっと端的に言うなら彼の国の衆愚政治に原因がある。しかもそれは、一たび火が付けばちょっとやそっとでは収まらない韓国人特有の国民性に根差したものである。このような国民性は、扇動者にとってはさぞかし煽りがいがあるに違いない。

国民性というものは、これは国民の平均的な特質であるから、国会議員であろうと大統領であろうと、学者であろうと、皆がことごとく同じような性向を持っているということである。

もちろん日本人にも日本人特有の国民性がある。この国民性は、韓国のものとは明らかに異なっている。それが証拠に、あの戦争当時、日本人女性の中にも韓国、朝鮮人女性と同じように「従軍慰安婦」となった人たちがいた。いや、その総数は、韓国、朝鮮人慰安婦よりもずっと多かった。
然るに、彼女らが韓国人慰安婦のように、日本政府に補償を求めた、などという話は聞いたことがない。
どちらが真っ当か、などと言っているわけではない。国民性が違う、と言っている。

さて、朴裕河教授が主張する主なポイントは以下のとおりである。

① 日本は朝鮮を併合(植民地化)していた。

朝鮮人慰安婦とは、①の結果として「構造的」に生じたものである。

「構造的」とは、非常に幅の広い言葉である。しかし、この言葉からは「強制的」に国家権力が朝鮮人女性を慰安婦にした、というニュアンスは伝わってこない。

わたしがこの言葉から感じるニュアンスはこうである。

当時、朝鮮は日本に併合されていた。日本人の目から見れば、朝鮮は日本と同じ国家であった。だから、日本人女性と同様に、朝鮮人女性が職業として従軍慰安婦になったとしても、それは、当時としてはなんらおかしなことではなく、差別を意味するものでもなかった。まして、彼女らを性奴隷と考える者など、朝鮮人の中にも日本人の中にもいなかった。
だからこそ、激しく熱しやすい性向を持つ彼ら朝鮮人が、今のように大騒ぎすることもなかったのである。
(それに、である。もしも軍部が兵隊の慰撫の為に朝鮮人女性を引っ張っていったというなら、もっと喉から手が出るほど欲しい兵士を引っ張っていかなかったのはなぜだろう)

むしろ彼ら朝鮮人の女衒たちが彼女ら同胞である朝鮮人女性を騙したり賺したりして従軍慰安婦にし、搾取したのではなかったのか。

それにしても、この朴裕河という女性は、なんと勇気のあるひとであろう。下手をすれば命に関わるような内容のことを堂々と本にし、しかもそれをネットに公開するというのだから。

村山富市氏も河野洋平氏も確かに日本国内で大きな批判を浴びてはいる。そういう意味では、彼らの談話は朴教授に匹敵すると言ってもよいかも知れない。しかし、この二人が命の危険まで感じているとは、とても思えない。彼らは、朴教授とは違い、単に強気で手に負えない韓国に阿ねって、あのような談話を行っただけのことなのだ。