冊封国家

2010/02/03 16:29

ダーウィンはガルパゴス諸島で進化論につながる数々の発見をした。その中でも特に有名なのがフィンチと呼ばれる鳥である。

今日ではダーウィンフィンチと呼ばれるこれらの鳥の特徴的な違いは嘴である。
たとえば、サボテンフィンチはサボテンの葉や花、種子、蜜などを食べ、ムシクイフィンチは昆虫を食べる。当然のことながら、この二種では嘴の形状は非常に異なる。それだけではない。同じサボテンフィンチであっても葉を食べるものと固い種子を食べるものとでは嘴の長さや高さに違いがある。また、固体によっても違いがあるのはその他の生物と何ら変りはない。

適応拡散と呼ばれるこれらの環境に応じた形態の変化は、フィンチに限らずどの生物種においてもごく当たり前に起こることである。

ガラパガスは南東太平洋にあるエクアドル領の諸島のことを言い、火山活動により形成された大小100を越える島から成る。この島は、ダーウィンによって一躍有名になったが、発見はそれよりずっと以前のことである。
この島は、南米大陸から遠く離れているため、生物相は固有のものが多い。したがって、進化などの研究を行うに最適の実験室となった。

ところで、地球上には60億を越える人類が文字通り犇めき合っている。この60億という途方もない数の人間たちにしても種々様々である。フィンチなどとは比べ物にならないほどの人種や民族、部族などに分類されるであろう。さらに人間の場合、ややこしいのはこれに宗教という、いわば後天的要素が加わる。

コーカソイドニグロイドモンゴロイドという人種的分類は、表面的な単に皮膚の色を白、黒、黄色と分けただけのものに過ぎない。もちろん、それに付随して髪の毛の色と形状、目の色、鼻の形などの違いも加わるが。

同じ日本人であっても、大きく弥生人縄文人とに分類できるという。嘘か本当か知らないが、耳垢が乾燥しているか湿っているかで簡易的に知ることができるらしい。さらにギリシャ系かエジプト系かは足の指の並び方を見れば分かる(これはジョークで単なる足の形の呼び方に過ぎない)

そういえば、目が一重か二重かという分類方法もある。血液型で分類する方法は、ここ何十年も隆盛を極めている。酒が飲めるか飲めないかというのも優れた分類方法である、とわたしは思う。なぜなら、欧米人にいわゆる下戸がほとんどいないのに対し、日本人にはこの種の人が相当数いるからである。余談だが、牛乳が飲める飲めないは後天的なもので遺伝とは直接的な関係はない。
(これもまた余談だが、手の指を見て薬指と人差指の長さの比でとトレーダー向きかどうかも分かるらしい。しかし、これは胎児のときにどれくらい男性ホルモンを浴びたかの指標であって、遺伝的傾向を示すものではない。ただ、薬指が相対的に長い人は、男女を問わず男性的傾向が強く、スポーツや素早い判断を要求される仕事に向くということである)

ともかく、現代ではDNAによる分析など人間を細分化していく方法には事欠かない。人は、それだけ他人と自分の違いを知ることが好きなのである。しかし、その一方で、日本人も中国人も朝鮮人も皆同じだという、まったく奇妙で筋の通らない説がまかり通っている。

さて、以上準備万端整ったところでそろそろ本題に入ろうと思う。
日本という国は、島国である。この点、ダーウィンを生んだイギリスと良く似ている。ガラパゴスほどではないが、大陸から離れていて、直接異人の侵略を受けることは極めて少なかった。そのために、天然の揺籃の中で独自の文化や穏やかな民族性を守り育んでいくことが出来たのである。まさに、「和を以って貴しと為す」というようなことが実現できる地政学的環境に日本は恵まれたのである。

これに対し、朝鮮半島は侵略に次ぐ侵略を受け続けてきたといっても過言ではない。なぜなら、ここは地政学的にロシア、モンゴル、中国からの侵略を受けやすい地理にあるからである。事実、歴史的に朝鮮半島は常に大陸の支配を受け続けてきた。
冊封というのは、いわば一家来国家のことである。宗主国に対し忠を示すことによって国家としての生存を許してもらう替わりに朝貢し、時には戦役にも狩り出された。

こうした形だけの国の民は、徳などという言葉とはまったく無縁であったに違いない。このような国においては、多くの民が飢餓に苦しみ、圧政に苦しんできたことは容易に想像できる。
民同士がお互いをまったく信用できない、今の北朝鮮情勢そのままの弱肉強食の獣のような社会が形成されていったとしても何ら不思議はない。このような国では、相手を欺いたり残忍に殺したりすることによってしか己の生存が保てなかった。より狡賢く残忍なDNAをもつ者のみが生き延び繁殖することができたのである。

そして、このような人たちが何百年もの間に適応拡散によってどのような進化を遂げたか、その壮大な社会的実験の結果が今の日本における在日朝鮮人たちの姿である。
彼らは、強制連行されて日本にやって来たなどと嘘を並べ立てているが、そのこと自体が彼らの本性を物語っている。実際は、朝鮮半島では食うことができずに日本の敗戦の混乱をいいことに略奪を目的にやってきた本国においても鼻つまみ者の犯罪者たちだったのである。

適応拡散とは、外見だけではない、このように人の内面にも絶大な影響を及ぼす。人は見た目では分からないと言うが、まさにその通りである。人は行為によって判断すべきである。
だから、凶悪な犯罪や卑劣な行為を見て、これは決して日本人のやることではないと判断することは決して差別的ではない。それどころか、極めて正当なものの考え方である。こういう考え方をする人は、決して南京大虐殺などという大嘘に騙されることはないだろうし、従軍慰安婦の問題にも何をばかなことをと静かに笑っていられるに違いない。

これに対し問題なのは、こういう歴史的、地政学的な事実を知らず、また遺伝やDNAなどと聞くとすぐに優生学ヒットラーに結びつけ、やれ差別だ、封建的だなどと騒ぎ立てる人たちである。
天然の揺籃の中で長い間惰眠を貪っていた、自分の尺度でしか物事を測れない大きな赤ん坊といっても良い日本人たちであると思う