アインシュタイン

2010/03/05 09:43

前にEND WARの中にアインシュタインの次のようなパンチの効いた警句が掲げられていると書いた。

第三次世界大戦でどのような兵器が使われるか知らないが、第四次世界大戦は、棍棒と石を持って戦うことになるであろう」

アインシュタインはいわずと知れた理論物理学者である。しかし彼は、ルーズベルトへの核爆弾製造を促す書類にサインをすることで結果的には日本への原爆投下を許してしまった。

当時、核物理学は曙光を見たばかりであった。彼の唱えた特殊相対性理論から導きだせる
E=Mc2は、質量とエナジー等価原理とも呼ばれるが、そのもっとも手っ取り早い応用がプルトニウムおよびウラニウム核分裂反応を利用した原子爆弾であった。そして、その二つともが日本に落とされた。

戦後、そのアインシュタインに書簡を送った人がいる。「改造」の編集者であった篠原正瑛氏である。「改造」は戦前、大正時代にアインシュタインを日本に招待したことがある。この手紙は、原爆製造を許してしまったアインシュタインを責めるものであった。アインシュタインは、この手紙にひどく怒り、その裏に「あなたは相手の事情をよく調べてからこのような手紙を書くべきである」と書いて送り返したという。

ところで、アインシュタインは根っからの学者であり、その姓の示す通り一石な人であった。出来れば政治や日常の煩雑にも惑わされず研究に没頭したいと願う人であった。その表れがあのぼうぼうの髪の毛であり、靴下も履かずに大衆の前に現れるという変人めいた行動であった。
アインシュタインは、燈台守になりたかったという旨の発言をしている。しかし、これは現実に彼が燈台守を職業にしたかったという意味では勿論ない。上に述べたことと、下に記す終生光を追い求めた彼のまさに一石な性格を表わす言葉であると思う。

19世紀後半という時代、物理の世界で理論的に矛盾する現象に多くの科学者が頭を悩ませていた。その最大のものが光についてであった。

特殊相対性理論は、光の速度が不変であるとの仮定の上に成り立っている。光の速度は、地球上でも月の上でも等しくc≒30万キロメートル毎秒である。
たとえば、赤道上に立ち、レーザー光線を西に向って放った場合、その速度がc+(4万キロメートル÷24時間÷3600秒)とはならない。東に放った場合も同様である。cは常に一定なのである。

しかし、このことは普通に考えれば非常におかしなことである。地球は自転をしている。北極から見るなら、赤道上に立っている人は左(反時計廻りに)に時速1670キロメートルで回転している。秒速にすると、463メートル。マッハを優に越える速度である。

これは、例えば赤道上のある国でテニスの試合が行われたとする。コートは東西方向に長く設けられている。A選手が西から東側にいるB選手に強烈な時速200キロメートルのサーブを放ったとすると、自転による速度プラス球の速度200キロが加わってなんと時速1870キロにもなる。反対にB選手が同じく時速200キロのサーブを打ったとしても、こちらの方は1470キロにしかならない。

上に述べたことに大きな間違いはない。ほぼ理論的に正しいことである。ただ、もっと正確に述べるなら、地球の公転速度も計算に入れねばならない。これは、ざっと計算すると時速一万七百キロメートルにもなる。
わたしたちは、ただ気が付かないだけで、実はこれ程の速度で常に宇宙を駆け巡っているのである。

ということで、続きはまた後日。