客観と主観

2016/07/24 10:10


天動説か地動説か。かつて、これが大問題になったことがあった。いま、かつてと書いたが今この21世紀においてもしばしばこれが問題になる地域がある。アメリカでは、驚くことに60%もの人が天動説を信じているのだそうだ。かのモンキートライアルからまったく進化していないのである。

しかし、よ~く考えてみよう。天動説のなにが悪いのだろう。西から昇ったお日様が~、というのは天才バカボンのテーマソングだったが、朝お日様は東からちゃんと昇りちゃんと西に沈んでいく。どう見たって、地球が動いているとは思えない。太陽が黄道に沿って動いているのだ。

天が動いていようが地が動いていようがわたしたちの生活には何の不都合もない。第一、地動説が唱えられた当時、この地球にどれだかの人間が生きていたか知らないが、その99.9999%がおそらく普通に太陽が動いていると感じていたであろう。つまり、ほぼ人類全体にそのようなコモンセンスが生まれていたのである。

わたしたち人間というものは、個性を持つとはいうものの同じような五感を持ち、それによって同じような思考をしたり、ものごとの捉え方をしがちなものである、ということがよく分かる。

何が言いたいか? 人間というものは、そのベースにほとんど違いはない、ということである。だから、お前さんの考え方は主観的に過ぎるなどとは言ってみても、概して人のものの考え方というものに大きな違いなどないのである。

このような「人間」が真に客観的になり得るには、何か大きなブレークスルーにぶち当たらなければならない。

ニュートンは、林檎が落ちるのを見てハッと閃いたのだという。もちろん、それ以前には何かがおかしい、というような感覚が絶えず彼を襲っていたに違いない。月は落ちないのになぜ林檎は落ちるのか?
アインシュタインも同じように、ずっと光を追っていた。灯台守になりたいと言っていたくらいに。光の速度は一定ではない。しかし、真空中ではその速度は絶対的で、およそ30万キロメートル毎一秒である。この速度を越えるものはこの「世」には存在しない。
アインシュタインは、この光の速度の絶対性から特殊相対性理論、そして一般相対性理論を生み出した。

彼らの発見は人類にとって大きなブレークスルーであった。人類がそれまでコモンセンスとしてきたことをぶち破ったのである。

宗教にせよ、歴史にせよ、あるいは様々な学問にせよ、わたしたちは嘘を鵜呑みにしてきた(させられてきた)のである。一旦、これを吐き捨てない限り、新たなブレークスルーなど起きないであろう。

しかし、よ~く考えてみよう。とは言ってみても、わたしたちの肉体はこの世の原理で出来ており、この世の原理で動いているのである。そして、わたしたちの精神(つまり脳の活動)は、みなこの肉体やあるいは外部の環境(つまりこの「世」)に支配されているのである。

果たして、このような状況で真のブレークスルーなど起こしうるのであろうか。真の客観視は、わたしたち人間に出来得ることではなく、やはり別のものによってしか成し得ないのではなかろうか。
いつの日か、AIが何か途方もない大発見?をする。それが人類には到底理解できないことである可能性もあり得ると思うのである。