犬と猫の将来

2010/04/04 11:32


ソロモンの指輪に限らず、指輪には不思議な力がある。これは持論である。
マリッジリングといわれるものもソロモンの指輪に少し似ている。違いがあるとすれば、これは動物の言葉をではなく、主として夫が妻の極めて短くはあるが、深遠な思想を秘めた、いわば形而上学的な言葉を理解するためのものであると言ってもよい。

この妻の発する短い言葉――ワンフレーズキャッチコピーとは、たとえば「・・・たく、っさいわねぇ」とか、「なんど同じことを言えば分るの」とか、「靴下の臭い嗅ぐのやめてよね」とか、「味噌汁をずるずる音をたてて飲むのはやめて」といった類のものである。実に奥が深い。この深遠なる言葉の意味を真に理解するにはやはり人間的修養とリングが必要なのである。

ところで、最近の犬や猫は1万年くらい前とは違って、その習性にかなりの変化が見られることにお気づきだろうか。
これは、デーモン小暮閣下に聞いたわけではないが、人類が犬、猫に近づき飼うようになった主たる理由は、生活上の便のためであった。犬はその臭覚や聴覚の鋭さゆえに、また猫は農作物や家を食い荒らす鼠を捕まえて食べるという習性のゆえに、人に愛でられ、人と共存するという暗黙の同盟関係を結んだのである。

しかし、同盟を結んだ当初は、その関係は必ずしも円滑ではなかった。大変ぎこちないものであった。ぎくしゃくしていたと言っても良い。
それが年月が経つにつれ、今日のように洗練されたものに変わっていった。
これは、もちろん表面的には人類が彼らを品種改良していったためである。
しかし、犬や猫も人間に順応するために大変な努力をしたことは否定できない。

犬などは、もともと尻尾を上手に使い犬同士でコミュニケーションを図っていた。このごろでは、尻尾を振る犬ではなくて尻尾に振られる犬というのまで出現したという。自分の発した言葉に振り回される人間のようでおかしい(聞いてますか、○山さん)
それはさておき、これなども初めは、彼らの尻尾によるボディランゲージを人間が理解することから始まった。
!は、彼らが尻尾をピンと立て警戒していることを表している。
?は、尻尾を少し巻いて、おやっと思っている様子である。これに付随して頭を少し傾げていれば、この?がさらに強調され「なんだ?」という意味である。 

人間の犬語の理解に加え、犬もまた涙ぐましい努力をしてきた。人間に順応するために狼の誇りを捨て媚を売るようになった。文字通りに犬に成り下がったのである。
猫にしても大きな違いはない。猫族が犬のように誇りまで捨ててしまったとは思えないが、激しい気性は内に隠したまま、アイドル歌手やタレントのようにしなを作り、といって決して我儘を直そうとはせず、腹がへれば赤ん坊のような声を出し、より人間にとって魅力的に見えるよう、より人間の保護を受けられるよう日々努力を怠らない。つまり、彼らは猫かぶりなのである(当たり前か)。

思うに、彼ら犬や猫とは、その精神性において、人間に媚を売り、人間とうまく同調するという進化を遂げた珍しい生き物なのである。
わたしは、あるテレビ番組で、食事の時間になるとやや不明瞭ながら「ぐぅーゎん、ぐぅーゎん」と吠えてご飯を要求する飼い犬を見たことがある。
犬は2歳から2歳半程度の幼児の知能を持つというから、たとえば遺伝子操作などにより口腔の構造を人間に近くしてやれば、鸚鵡など以上に人語を理解し喋るようになるのではないかと思う。 

しかし、そうなると、非常に困った事態が生ずるかも知れない。
まず第一に、こういったコンパニオンアニマルは、まず家にいる時間が圧倒的に多い主婦にすぐに手懐けられてしまうだろうから、名目だけの一家の主にとってはますます肩身が狭くなるに違いない。

「おい、靴下の臭い嗅ぐの、いい加減に止めにしときなよな」などと、犬に窘められる日が来ないとは言えないのである。