真理について(またはお笑い夫婦別姓観)

2010/04/10 10:21

今、テレビを背中で見つつこれを書いている。テレビは、夫婦別姓の是非を問うものである。
賛否両論、静かながら白熱した意見が出されている。それもそのはず。日本の将来を大きく左右しかねない問題だからである。

上の真面目な番組の趣旨に反し、わたしは次のような笑い話を思い出した。

ある女性。小学生の頃から、名前のことで友達からことあるたびにからかわれていた。
彼女の名前は水田真理。
男の子は、「やーい、水溜り」とかわいい彼女の気を引こうと囃し立てるだけだが、
女の子は、「雨の日は気をつけなきゃだめよ、みずたまりさん」などとからかう。

そんな彼女も成長し、やがて好きな人が出来て結婚することになった。彼女は親友にその話を打ち明けた。
親友:「良かったわねぇ」
しかし、真理さんの顔はなぜか浮かない。
親友:「あら、何か困ったことでもあるの」
真理:「それが、結婚することになった相手の名前なんだけど・・・」
親友:「あら、なんてお名前なの」
真理:「小田さんていうのよ」
親友:「・・・・・・」

おそらく、このような人たちにとっては夫婦別姓はありがたいことなんだろうな。でも、「みずたまり」と「おだまり」の選択は非常に難しいと思う。

ひょっとしたら、風が吹けば桶屋が儲かる方式で、姓名判断屋さんが儲かるようになるかも知れない。姓名判断を信じる人にとっては、選択の幅が広がるからである。そして親は、女の子の名前を付けるときには今まで以上に気を配らねばならなくなるかも知れない。水田真理さんは一生「みずたまり」のままになるかも知れないからである。

冗談はともかく、番組の中である民法学者がこのようなことを述べておられた。
民法と言うのは、単に個々人の生活上の便宜的な理由のみで変えてよいといったものではない。本来的には、国、そして国民のあり方はかくあるべしといった長期的展望に立脚したものなのではないか」

わたしもその通りであると思う。