マッカーサーのまさか

2010/04/18 22:29

I shall return というのは、有名なマッカ-サーの放った台詞である。しかし、この台詞がいついかなる場面で使われたか詳しく知る人は少ない。

GHQの総司令官として、彼は戦後の日本の「処理」を行った。そして、親切にも日本に憲法をプレゼントして出て行った。お蔭様で、今、日本は大きな苦難を迎えようとしている。

マッカーサーを救国の恩人のように考えている無知な日本人の多いことに驚かされる。この際、一度彼がどういう人物であったか検証してみてはどうだろうか。

わたしの好きな週刊新潮に「変見自在」という巻末を飾るコラムがある。高山正之氏が舌鋒鋭く、わたしたちのマスゴミ、カスゴミに洗脳されてしまった頭に渇を入れてくれている。

実は、その3月25日号に、次のような行があったのだ。ただいま占領中という題のコラムなのだが、その中にマッカーサーが出てくる。

「・・・最も卑怯だったのがマッカーサーだ。日本軍がフィリッピンに上陸するとマニラを捨てて要塞化したコレヒドール島に逃げ込む。その島を守るバターン半島の守備隊が敗れると海路、オーストラリアに逃げ出す。司令官がそんな卑劣漢だから部下のウェンライトはもっとダメで、日本軍がコレヒドール島に上陸すると翌日には白旗を揚げた」とある。

さて、冒頭のI shall returnであるが、これは、実は彼がフィリッピンにおいて攻めてくる日本軍を前に逃亡したときの言い訳がましい捨て台詞なのである。

この辺の事情は、Wikiにも詳しく出ているので、下に引用してみる。

12月8日に、日本軍がイギリス領マレーとハワイ州真珠湾などに対して攻撃を行い大東亜戦争(太平洋戦争)が始まると、ルソン島に上陸した日本陸軍と戦い、日本陸軍戦闘機の攻撃で自軍の航空機を破壊されると、人種差別的発想から日本人を見下していたマッカーサーは、「戦闘機を操縦しているのはドイツ人だ」と信じた。

怒濤の勢いで進軍してくる日本軍に対してマッカーサーは、マニラを放棄してバターン半島コレヒドール島で籠城する作戦に持ち込んだ。2ヶ月に渡って日本陸軍を相手に「善戦」していると、アメリカ本国では「英雄」として派手に宣伝され、生まれた男の子に「ダグラス」と名付ける親が続出した。しかし、実際にはアメリカ軍は各地で日本軍に完全に圧倒され、救援の来ない戦いに苦しみ、このままではマッカーサー自ら捕虜になりかねない状態であった。

一方、ルーズベルト大統領は個人的にはマッカーサーを嫌っていたが、マッカーサーが戦死あるいは捕虜になった場合、国民の士気に悪い影響が生じかねないと考え、マッカーサーとケソン大統領にオーストラリアへ脱出するよう命じた。マッカーサーはケソンの脱出には反対だったが、ケソンはマッカーサーの長い功績をたたえて、マッカーサーの口座に50万ドルを振り込んだ。実際には脱出させてもらう為のあからさまな賄賂であったが、マッカーサーは仕方なく賛成した。

さて、これ以外にもマッカーサーの意外な素顔が明かされている。やはりWikiによるものだが、マッカーサーフリーメーソンに属していた。その位階はスコッティッシュライトと言われるものの32階位である。これはSublime Prince of the Royal Secretと呼ばれるのだそうだ。訳すと「王者の秘密の至高の王子」という意味になる。いずれにしろ、日本の鳩山一郎などと同様に、フリーメーソンの中でも非常に高い地位の人物であったわけだ。

さて、そのマッカーサーが僅か一週間で起草したといわれる日本国憲法だが、これは全く憲法の名に値しない、どこかの宗教における偽のご本尊のようなものである。

もっとも、マッカーサーには、上のようなフリーメーソンの唱える理想主義からか、日本国憲法についても、戦争放棄というアメリカでは実現不可能な理想を、日本において実現しようという目論見があったと言われる。

マッカーサーはウェストポイントを最優秀の成績で卒業している。しかし、実戦においては、敵前逃亡といい、朝鮮戦争時のトルーマンによる更迭といい、理想が必ずしも現実には通用しないという見本を示してくれた人物とは言えないだろうか。