蚊学

2010/04/18 15:22

ジュラッシックパークという映画を見ても分かるとおり、蚊という生き物は6千万年もの昔から今と変わらぬ姿で存在していた。映画の中ではあまり目立たなかったが、蚊は非常に重要な役割を与えられていた。

恐竜の血を吸った蚊が樹に停まって休んでいるうちに樹液に飲まれて、そのままアンバー(琥珀)になってしまう。インジェンの創立者ジョン・ハモンドの杖にもこうした蚊入りのアンバーが使われていた。
映画では、こうした蚊から恐竜の血液を抽出し、それをPCRなどの方法で増殖させ、さらに蛙のDNAと結合させるという手法で恐竜を現代に蘇らせたとしていた。アイデアとしては大変すばらしいと思う。

ところで、血を吸うのは雌の蚊だけである。雄は果物の汁などを吸って生きている。雌が動物の血を吸うのは、卵を孵すのに動物性のたんぱく質が必要だからである。

蚊は、このために非常に洗練されたメカニズムを持っている。弁慶の七つ道具、あるいはスイスアーミーナイフに匹敵するほどその吸血装置は巧妙にできている。まず、下唇が変化してできた鞘。この中に皮膚を切り裂き穴を開けるための顎が変化してできた鋸がある。さらに、上唇が変化した血を吸うためのストローと下咽頭が変化した血液の凝固を防ぐための酵素を注入する注射針もある。

上に述べたように、蚊は、ただ血を吸うだけではなく、痒みの元となるアレルギー物質を含む唾液を凝血防止剤として先に注入する。わたしは小学生のころにこの物質をプラジカイニンと憶えた。
本来、この物質は血液と一緒に蚊の体内に吸い取られてしまうので、痒くはならないはずなのだが、不用意に蚊を叩いて殺したりすると、この物質が注入されたままとなり痒くなるのである。
また、叩いて殺すことは、痒み物質のみならずウィルスやマラリアなどの病原菌も一緒に注入してしまうことになり大変危険である。蚊が皮膚に止まっているのを見つけたら指で弾き飛ばすのが一番良い方法である。

いずれにしろ、蚊は太古の昔から様々な動物たちに多大な迷惑を掛けてきた厄介者である。しかし、なぜこのような吸血鬼がこの世に存在するのか。その理由を考えてみたことがおありだろうか。

わたしが思うに、蚊は蜜蜂のようなものである。なぜなら、蜜蜂が植物の受粉を助けるように、蚊は動物たちの間で様々な病気、わけてもウィルスの媒介をしている。
ご承知のようにインフルエンザというのは、中国の南西部で家禽と豚を一緒に飼育している農家がその発生源とされる。本来、鳥に感染し増殖するウィルスは人間には直接感染しない。ところが、鳥と人間の間に豚が介在することによって、ウィルスは人間にも感染するように変異するのである。
その鳥と豚の間の感染を仲介するのが蚊なのだ。

しかし、それでは蚊は蜜蜂と同じとは言えないのではないかとの反論もあろう。確かに蜜蜂はある種の植物にとっては欠かせない存在である。また、その植物、すなわち観賞用の花や食料としてのナスやキュウリなどを栽培している農家にとっても蜜蜂は大切な働き手である。

然るに、蚊はといえば、伝染病の媒介こそすれ人間に何らの利益をもたらさないではないか。確かにその通りである。
しかし、仮にこの世に蚊が存在しなかったなら、ウィルス病などはうんと減ったであろうが、同時に生物の進化ももっと遅れたに違いない。なぜなら、突然変異の起こる要因としてウィルスの影響は非常に大きいからである。

蚊は、動物の体温や呼気中の炭酸ガスを検知するセンサーを持っている。したがって、体温が高い状態にあるとき、たとえば運動後や入浴後などがもっとも蚊に狙われやすい。また、炭酸ガスに反応するから、扇風機などで呼気を拡散するようにすれば、蚊を吹き飛ばす効果と相俟って刺されるリスクは激減すると思われる。

蚊の天敵といえば、昔からトンボが代表格だった。しかし農薬などのせいか、近頃ではめっきりトンボは減ってしまった。わたしが子供のころは、鬼やんまや銀やんまなどがまだまだたくさんいた。それを捕まえることが大きな楽しみの一つだった。

トンボは、とんぼ返りというように、同じ一直線の道を何度も行ったり来たりを繰り返し蚊を捕食する。また、蚊の幼虫をボウフラといい、これを漢字にすると了という字を二つ立てに並べたように書く。如何にもボウフラの形を表しているようで面白い。そして、このボウフラの天敵であるが、これも面白いことにトンボの幼虫であるヤゴなのである。

最後に、蚊は雌だけが血を吸うと言った。雄は植物の汁を吸う。あるいは、蚊の雄は植物の汁に含まれるウィルスを媒介することによって植物の進化に一役かっているのかも知れない。

いずれにしろ、この世に不要なものは何一つない。世の中に蚊ほど煩きものはないと言われるほどの厄介者ではあるが、巨視的、長期的な目で見れば、生物界という精緻なネットワークを形成する一部品として非常に重要な役割を担っていることは間違いないのである。