シュレ猫とpi

これは以前にも書いたことだが、ガリレイピサの斜塔から物を落とさなくとも、落体の法則を発見できた。また、科学者は、アインシュタイン一般相対性理論によらなくとも宇宙の膨張を知ることができた。

それでは量子力学はどうか?

シュレ猫が生きているのか死んでいるのか、蓋を開けて見なければ結果が決まらない、と言うのが不確定原理である。

蓋を開けて見なければ結果が分からないというのではない。決まらないのである。

なぜなら、極小のレベルでの現象というのは、観測者なしには現象し得ないから。

つまりこれは、こういうことではないだろうか。わたしはいつも思うのだが、この宇宙という系の中で起きることというのは、最初から最後まで決まってしまっていて、シュレディンガー博士がシュレ猫の例え話をすることさえこの宇宙の中では決まっていた。つまりすべては、予定調和のもとにその開闢から終焉までもが一分の狂いもなく進められてきたのである。

わたしは、過去の出来事が決まっていて改変不能と信じる人が未来が決定していないと考えるのは、極めて不自然と思う。

だから、わたしはシュレの話というのは、つまるところ、piの話だと思うのである。

円周率piは、次にどの数字が出てくるかは決まっている。しかし、スーパーコンピュータでこの数字を予知することはできない。コンピュータが計算して弾き出すまでは、次に現れる数字は十分の一の確率でしか予測できない。

わたしはスーパーコンピュータが如何なる計算方式を使って円周率を弾き出しているのか知らない。しかし、インドの天才数学者ラマルジャンは、その計算式をすでに発見している。

このことから考えても、piの数字の羅列は最初から最後まで決まっている。

わたしが言いたいことというのは、こうである。

所詮、量子力学と雖も、今わたしが直感的に信じているように、わが宇宙という系が固定した、ステーブルなものとすれば、一挙にその奇妙だと思われた現象が腑に落ちてしまうのではないか。

シュレ猫は、蓋を開けて見なければ死んでいるのか生きているのか決定しない、のではなく、その状態を観測すること(あるいはしないこと)さえ含めて決まってしまっているのである。そして、その観測によって死んだ状態が決定するのか、あるいは生きた状態が決定するのかも。

3.142592の次の数字がいくつか、あるいは奇数か偶数かが決まってしまっているにも関わらず、わたしたちはシュレ猫と称して、次に来る数字が奇数であれば猫は死に、偶数であれば生きている、というような可笑しな実験をして、数字が決定するまでは、この猫は半分死んだ状態と生きている状態とが半分半分の割合で重なりあっていると言っているのである。

これはとても可笑しなことである。