人牛について

2010/06/12 22:28


ミノタウロスについて、あるいは底辺のない人生について書くつもりではない。

かつて詩人のアーサー・ビーナード氏がこんなことを言っていた。
狂牛病はBSEと言われるが、これでは日本人にはその恐ろしさが伝わらない。だから、いっそKGBとしたらどうか」

話が飛ぶが、小松左京に「件の母」という傑作がある。これは、大変なホラーである。この小説の恐ろしさはラストで一挙に噴出するのであるが、慧眼の持ち主であれば、この良く出来たタイトルだけでその内容まで看破してしまうかも知れない。

狂牛病が恐ろしいのは、その肉や骨髄などを原料としたエキスなどを食した人間にも感染してしまうというところにある。しかも、ひとたび感染してしまった場合の治療法がない。牛から人に感染することから、わたしは狂牛病こそ「件」の病とか「くだん病」と呼んではどうかと考えるのである。

今、宮崎を席巻している口蹄疫もあまり関心のない人には、ユンケル皇帝液からの連想で、皇帝疫? なんだ、それじゃぁ俺には関係ないわ、と極めて安直な回路が知らない間に頭の中に形成されてしまっているのかも知れない。世間の関心はそれほどに低い。

しかし、口蹄疫は勿論そんな生易しいものではない。現に何万頭もの牛や豚が無益に殺処分されている。いったいなんでこんなことがおこってしまったのか?

犠牲という漢字は二つとも牛編だが、口蹄疫では牛よりもむしろ豚の方が大量の犠牲を強いられた。

口蹄疫ウィルスは未知の病原体ではない。非常に感染力が高いにせよ、その防御策は確立されている筈である。然るに、なぜこれほどまでに感染が拡大してしまったのか。

これは、今後人類を襲うであろう新種のウィルスを考えたとき、この国の危機管理能力では、国民はいったいどれほどの被害を蒙るか知れたものではないと慄然とせざるを得ない。

幸いにして、先般の豚インフルは毒性が低かったおかげで、通常のインフルエンザと大差ないほどの被害で済んだ。しかし、近い将来に必ず発生するであろう鳥インフルエンザの毒性は豚インフルの比ではない。

世界中で2千万人ともいわれる死者を出したスペイン風邪が果たしてどのタイプのインフルエンザであったか、わたしは寡聞にして知らない。

しかし、それによる死者は日本でも僅かの間に50万人にも及んだ。この国では、毎年100万の赤ん坊が産まれ、それとほぼ同数が死んでいく。それが一挙に5割増えるということは、戦争でもなければあり得ない。大変な危機である。

かつて、狂牛病にイギリスが悩まされていたころ、このような病気は、あまりに家畜を粗末にしてきたことに対する神の戒めであると考え、菜食主義者に宗旨替えをした人もいたという。

日本人も、かつては生きとし生けるものすべてを畏れ、大切にしてきた。牛であろうと猪であろうと、また鯨であろうと鮫であろうと、その命を決して粗末には扱わなかった。

これは、何も動物に限ったことではない。植物に対しても同じであった。林業は廃る一方だが、昔から日本人は何十年もかけて木を育て、そこから利子だけを得て生活して来ていたのだ。それが今はどうだろう。紙を粗末にし、世界中の木々を倒し、密林を裸にし、太陽の恵みたる酸素を自ら絶ってきた。要するに自らの首を絞めているのである。

命に対する謙虚な畏れの心が失われたとき、人は必ずといってもよいほど大きな災難に見舞われてきた。そして、今の時代がちょうどそのときなのだと、わたしは思うのである。