クールガイについて

2010/06/11 20:41


わたしの好きなクールガイの季節になってきた。これに鰹節をかけ、茗荷か生姜をきかせて食うと、うまいんだなぁ、これが。

クールガイとは、なにあろう、冷奴のことである。あの色白のわたしに似たハンサムボーイのことである。これに冷たいビールがあれば申し分ない。さらに枝豆などがあれば、自宅がそのまま天国に一番近い島になる。

しかし、豆腐についてうんぬんかんぬんするつもりはない。豆腐も確かに日本が誇る素晴らしい食品だが、わたしは、改めて日本語の素晴らしさについて書こうと思う。

冷奴は漢字だが、これは普通訓読みをする。無理に音読みをするなら「レイド」とでも読むのだろうが、これではまったくのナンセンスである。
ひややっこと耳にしたとき、日本人なら間違いなくあの白皙のクールガイを頭に思い浮かべ、舌には滑らかな感触と、鼻腔にはちょっと青臭いほのかな大豆の残り香を感じるであろう。また、冷奴と漢字で書いたお品書きなどをどこかの大衆酒場で目にしたときも恐らく同じだと思う。

これは「日本辺境論」で仕入れた知識なのだが、日本が世界に誇る漫画文化は、この日本語独特の構造に負うところが大きいという。つまり、日本の書き言葉は漢字という真名とひらがな、カタカナという仮名から成り立っている(最近では絵文字なども多用されるようになったが、これも一種の漢字と看做していいのではないか)。その漢字と仮名では脳の処理する領域が違っているらしい。思うに漢字はビジュアル系であり、仮名はボーカル系であるということなのであろう。

話が飛ぶようだが、日本人の識字率が昔から高かったのは、この日本語の構造によるところが大きいと著者である内田氏は述べられている。たとえば、アメリカの人気映画俳優のトム・クルーズ失読症であったと言われているが、彼は決して特異な存在ではなく、アルファベット圏には文字の読めない人がわたしたちが想像する以上に多いのだそうだ。
これは、たとえば、日本では菊という漢字を一目見れば、誰しもがあの黄色い繊細な花弁が一杯突き出た独特の香りの花を思い浮かべるであろう。しかし、アメリカ人にとって chrysanthemum という文字を見て、すぐに菊を思い浮かべることは簡単ではない。なぜなら、これは単に文字数が多いという理由からだけではない。これを正しく発音することすら難しいからだ。

英語圏の人に限らず、人はみな、最初は耳から言葉を覚える。そして次に耳から覚えた単語すなわちボーカル言語と文字すなわちビジュアル言語とを脳内でリンクさせる作業をしているはずである。この段階で、英語圏の人たちは、おそらく相当な努力を必要とすると思うのである。ところが、日本語の場合、菊は一度これを「きく」と読むのだと教えられれば、小さな子供であってもまず忘れることはない。「菊」という文字を見れば、直ちに菊を思い浮かべられるようになる。菊は今で言う絵文字となんら変わりはないからである。

菊で思い出したが、「ドライビング ミス デイジー」という映画があった。この中に、主人公の元教師ミス・デイジーモーガン・フリーマン演じる運転手ホークと墓参に行くシーンがある。彼女は、女友達に頼まれた花を手向けるべくホークにその墓石を探させようとするのだが、ここで初めて彼が字を読めないことに気がつくのである。ホークは、彼女の発する音声、つまり墓石の主の名である Bauer とアルファベットとがどうしても結びつかず、広い霊園の中を右往左往していたのだ。

漫画に話を戻せば、漫画は絵も吹出しの文字もビジュアルと言っても良い。仮名はたしかにボーカル文字ではあるが、これを理解するのに音読する必要はない。ごく小さい頃からでも黙読するだけですんなりと頭に入るようになる。また、擬音や擬態語などは、カタカナやひらがなで情感豊かに表現することもできる。

どうだろう。こうやって考えていくと、日本語とは実に素晴らしい英知の結集された言語ではないだろうか。